第五十七話「サウナ室にて」
 汗まみれなのは暑いからだ。
 喉が乾いているのは暑くて汗が出ているからだ。
 息苦しくて少しハァハァしてるのは暑いからだ。
 頭が少しクラクラしてきたのは暑いからだ。
 心臓が破裂しそうなくらいバクバクいってるのは暑いからだ。
―― 断じてバスタオル一枚の棗が目の前に入っているからじゃ……。
 気付かれないよう目線だけ上げて棗を見た。
 オレンジ色の光を受けた艶やかな黒髪。オレンジ色の光を受けてもなお白く見える肌。
バスタオルという薄布を押し出して自らを主張している胸が視界に飛び込んできた。慌て
て目線を背ける。
―― み、認めたくないがバスタオル一枚の棗がいるからだな。
 そう、バスタオル一枚。その下にはなにも着ていない。もし、もしもバスタオルがずれ
たりしたら……。そこまで考えて俺は自らの拳を頭に叩き込んだ。
「あ〜ちゃん? いきなり何してんの?」
「気にするな。つうか何でお前らがここにいるんだよ! ここは男湯だぞ!」
「あ〜や、ほらアレ」
 俺の肩を叩いて春賀は前を指差した。
 視線を指差された方へ向けて、俺は目を丸くした。
 扉。
 さっき俺達が入ってきた以外にもうひとつ扉があった。その先に何があるのか。もはや
考えるまでもない。女湯だろう。
―― つうことは、だ。
 高温の酸素を大きく吸い込んでから、
「こ、混浴だぁぁぁぁぁぁぁあ!?」
 力の限り俺は叫んだ。
「そゆこと。どう、これってウチのアイデアなんだけどいいでしょ?」
「何がいいか! 俺にとっちゃさいあ――」
「とか何とか言っちゃって。バスタオル姿の棗さん見て喜んでたのウチは知ってるよ」
「だ、誰が喜んで――」
「は〜いはいはいはいはい。あ〜ちゃんが素直に言うはずないのはウチがよ〜〜〜くわか
ってるから。はい、棗さんはあ〜ちゃんの隣に座って」
「え、ええ」
 晴香に肩を掴まれた棗が俺の隣に腰を下ろした。
―― 何か妙に大人しいな。
 いつもの尊大さが感じられない。普通ならここで、
『貴女に指図されるまでもありません!』
 とか何とか言いそうなものなんだが……。
「………」
 気持ち悪いくらい大人しかった。
「んで、ウチはもちろんハルの隣っと。あ、ハル、肩貸してね」
 腰をおろした晴香は春賀が答える前に頭を肩に預けた。
「ん〜この感触がいいんだよね」
「オレも晴香の重みと体温感じられて嬉しいね」
「ハル」
「晴香」
 二人は互いに見つめあうと、お互いの手を握り締め合ったまま寄り添った。何ともラブ
ラブというか、バカップルというか。
「わざわざこんな暑苦しいところで普通イチャつくか?」
 理解できなかった。
「ふぅ。この幸福感がわからないあ〜ちゃんが可哀想でならないよ。ね、ハル?」
「あ〜やにも教えてやりたいね」
 哀れんだ4つの瞳が向けられる。何だか無性に腹が立った。
「はっ! 教えてもらえるもんなら教えてもらいたいもんだな!」
「ふっふ〜ん。じゃあさ、あ〜ちゃんも同じ事してみればいいじゃん。あ、この場合はし
てもらえばいいじゃん、か」
「はい?」
 同じ事をしてもらう。
―― いったい誰に?
 それを問いかけるよりも前に左肩が重くなった。間を置かずして左手と左腕にサウナに
立ちこめる『熱』とは別の『熱』と柔らかさが押しつけられる。
 春賀と晴香は隣にいる。恵は中央で座禅を組んだままぴくりとも動かない。となるとこ
の『重み』と『熱』の持ち主はひとりしかいなかった。
「な、何やってんだよ!」
 晴香と同じ事をしだした棗に向かって叫ぶ。
「だ、黙りなさい。私はただ、その女が知っていて私が知らない『幸福感』があるのが許
せなかっただけです!」
 返ってきた答えは久しぶりに棗らしいものだった。
―― だからって断りもなくすんなよ。
 密着されてこっちは身動き取れなくなっていた。
「で、で? どうどう?」
「そ、そうね。……とても、そう、とても……幸せな気分です」
「でしょでしょでしょ! 一度知ったらやみつきになっちゃうって! 中毒ってヤツ?」
 そう言って晴香はキャーキャー叫びながら両足をばたつかせた。うるさいことこの上な
い。まさに中毒者って感じだ。
 と、いきなり叫ぶのを止めたかと思うと、
「んで、あ〜ちゃんの方はどぅ?」
 にんまりと嫌な笑みを向けてくる。
「うぐ」
 答えにくくて言葉に詰まった。
―― こいつらの前だけでは言いたくない。
 からかわれる。間違いなく恥ずかしくて死にたいと思えるほどからかってくるだろう。
誰だってそんな目にはあいたくない。
―― どうにかして話しをはぐらかさねえと。
 何か二人の気をひけるようなものはないかと探すも……。
―― なんにもねえ。
 たら〜りと頬を冷たい汗が伝う。
「さあさあさあさあさあさあさあ! 答えちゃお〜よ、答えちゃお〜よ、恥ずかしがらず
にさあさあさあ!」
「あ〜や、素直に白状すれば罪は軽いよ。……カツ丼食べるかい?」
 もはや質問ではなく尋問だった。気分は無実の罪で捕まった犯人って感じだ。
―― 何でも良い! 思いつけ、ひらめけ俺の頭!
 両方の人差し指をこめかみに擦りつけながら考えるがまったく良い案は思いつかない。
もうだめか。そう思ったときだった。
「あ」
 春賀が俺を指差した。いや、正確には俺の横を指差したらしい。
「どうした?」
 理由がわからず問いかけた直後、肩の重みが消えて今度は膝と股間がずっしりと重くな
った。
「………」
 恐る恐る顔を下げる。
―― え、え、え、え、X指定!?
 あろうことか棗が股間に顔を埋めていた。もし腰にタオルを巻いていなかったら本当に
X指定になるところだ。
「な、なななな何やってんだよ!」
 慌ててひっぺがす。
「ほむ。どれどれ……ふむふむ。どうやら暑さで気を失われたようじゃな」
 いつの間に来ていたのか恵が動かない棗を色々な角度から見て診断を下した。
―― これはチャンスだ!
 棗を連れて行くという口実で尋問から逃れることができる。俺は迷わず行動を起こした。
気を失った棗を抱きかかえて、
「一大事だ! 一刻も早くこっから出て介抱せにゃならん!」
「た、大変じゃん。ほ、ほら早くしないっとととっとっと〜!」
 立ち上がった晴香は扉を開けようとして急にバランスを崩した。
「お、おい」
「あ〜れ〜〜〜た〜お〜れ〜る〜」
 何ともワザとらしい声を発しながら後ろ向きに倒れる。それだけなら良かった。あろう
ことか晴香は倒れる寸前に棗の体を覆っていたバスタオルを掴んでいた。
 するとどうなるか。
「………」
 頭が真っ白になって意識が遠のいていく。
 見るつもりはなかった。しかし晴香を目で追っていたら必然的にというか、運命的とい
うか、お約束というか……バッチリ見てしまっただけなのだ。
―― は、はだ、はだ、裸……。
 視界に飛び込んできたその刺激に堪えきれなくなり、俺は視界と意識を強制的にブラッ
クアウトさせる。

―― この事実を知った棗がどんな行動を起こすのやら。
 メイド女だけはけしかけてはほしくないと気絶する寸前に思う俺だった。

オレ見てないから。


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