第五十三話「Misunder Standing」
「こんなに情熱的な抱擁……照れるね」
そう言うや春賀が抱き締めてくる。
――迂闊!こいつは……。
春賀の性癖を思い出して俺は慌てて離れた。
「ありゃ。もう終わり?」
「当たり前だ!あぁ〜きも。久しぶりの再会と救いの神誕生で歓喜したからって男に抱きつ
くのは……」
「ハハハハハ。相変わらずあ〜やはあ〜やだね。んで、この3ヶ月どこにいたのさ?急に引
っ越したと思ったら退学って聞いてオレも晴香も心配してたんだぞ」
「わりぃ。お前たちには連絡って思ったんだができなくってな。ホントにすまん」
「いいっていいって。訳、聞かせてくれるんだろ?」
「ああ」
 俺は親父の借金のこと、借金の形に売られたこと、そこで法光院棗というお嬢様と出会って
色々あったことを話して聞かせた。
「へぇ。波瀾万丈って感じだね。楽しそうで何より」
 話しを聞き終えた春賀はケラケラと笑った。
「どこをどう聞けばそんな感想がでる。何度も死にそうな目にあって楽しいも何もあったもん
じゃねえ」
 思い出すだけで体が震えた。
―― ホント、よくこうして生きてるよな。
 つくづく思う。
「聞いてる方は楽しいのさ。あ、それでどうする? ウチへくるかい?」
「できればそうさせてくれ。戻ると生命が危ういんでね」
「了解了解。あ、ちなみにオレって実家に住んでないから」
「は?」
 思わず変な声を出してしまう。
―― どういう意味だ?
 言葉の意味が理解できなかった。
「附いてくればわかるって」
 背を向けて春賀は歩き出す。
―― ホームレスにでもなったのか?
 まさかそんなはずもないだろうと思いつつ後に続く。そして、言葉の意味を理解した俺は心
の底から驚かされた。
「お、おいおい。マジか?」
「うん。マジ」
「はぁ〜」
 俺は春賀がいま住んでいる場所を見た。
『春の湯』。
 もうひとりの幼なじみ・本郷晴香の家であり、とても馴染みのある場所だった。
―― 晴香の家に住んでるってことはだ。
 同居……というより同棲。いやいや。
「婿入りか」
 3ヶ月の間にそこまで話が進んでいるとは夢にも思っていなかった。
「そんなもん。ささ、どうぞ。晴香も会えばきっと喜ぶ」
 促されるまま俺は銭湯の入り口ではなく、本郷家の玄関より中に入る。たった3ヶ月ぶりだ
というのにやけに懐かしさを感じた。
「あ。俺は少し番台に上がるからあ〜やは部屋で休んでて。あそこの部屋だから」
 奥の一室を指差すとおもむろに右手をあげて、
「んじゃ」
 銭湯の方へ行ってしまった。
「さて、俺はくつろがせてもらうか」
 春賀が指差した部屋に入る。そこでふと思った。
―― 晴香のヤツはどうしたんだ?
 別の部屋とも考えたが、見回してみれば壁に見慣れたセーラー服があった。間違いなく通っ
ていた高校の制服だ。つまり晴香もこの部屋で過ごしていることになる。
―― 銭湯の方か?
 番台にはおじさんかおばさんがいるだろうから脱衣所の清掃だろうか。
「そんなら戻ってくるまでテレビでも。え〜っとリモコンリモコン」
 四つん這いのままリモコンを探す。
「はい」
「お、サンキュ……ん?」
 差し出されたリモコンを受け取ってから変であることに気付く。
―― 誰がこれを渡した?
 顔を少しあげると白く細い足が視界に入った。さらに顔を上げる。
「ハロハロ。あ〜ちゃん、会いたかったよ」
 幼なじみ・本郷晴香が満面の笑みを浮かべて立っていた。しかもバスタオル一枚という霰も
ない格好で。慌てて俺は顔を背けた。
「あらあらぁ〜ん。もしかしてあ〜ちゃんには刺激が強すぎ?」
「だ、黙れ。そもそも、ななな何でそんな格好してんだよ!」
「何でってお風呂に入ってたからに決まってんじゃん。それにしても部屋に戻ったらあ〜ちゃ
んがいるからびっくりしちゃった」
 身をかがめた晴香が顔を覗き込んでくる。
「びっくりしたのはこっちだっての! いいからさっさと着替えろ!」
「まあまあ。慌てない慌てない。まずは3ヶ月ぶりの再会を喜んで……抱きつき!」
 言葉どおりに晴香は抱きついてきた。
 頬に感じる晴香の肌。髪の毛から匂うシャンプーの香り。そして、胸に押し付けられた柔ら
かいもの。一瞬にして頭が沸騰し、顔が灼熱した。
「や、やめろ! は、離れろって! お前には春賀っていう歴とした恋人がいるだろうが!」
「うん。いるよ。で〜も、あ〜ちゃんならいいの」
「どういう理屈だ!」
「だってあ〜ちゃんのこと好きだし。ラブだよ、ラ〜ブ♪」
「春賀が見たら激怒するだろう!」
「しないしない。他の男なら撲殺して地面に埋めると思うけどあ〜ちゃんならOKなの」
 反論したくてもそれには反論できなかった。
 本当に春賀は晴香が俺に抱きつこうが何をしようが怒ったためしがない。逆に笑って一緒に
飛びついてくる。
―― まったくもってこいつらの思考回路が理解できん。
 俺はもう何千回と思った事を心の中で呟き、
「だからって普通はくっつかねえ!」
 引っ付いている晴香を引き剥がしにかかる。
「普通じゃないからいいの。ウチはただあ〜ちゃんに触れてほしいだけだよ。えい」
「のわ」
 のしかかられた俺はバランスを保てず畳の上に倒れた。
―― ムネノタニマガミエルンデスガ。バスタオルガオチソウナンデスガ。
 顔をあげた俺は視界に飛び込んできたものを認識して思考が飛びそうになるが、
「ね、あ〜ちゃん。3ヶ月も会えなくてすんごく寂しかったんだよ」
 本当に寂しげな表情を見せられ、妙な考えは一瞬にして吹っ飛んだ。
「……それに関しては悪いと思ってるよ。本当なら真っ先に居場所を知らせてやりたかったが、
そうもいかない場所にいた。……ホント、悪い」
「じゃさ、お詫び……ほしいな」
 晴香の両手が俺の頬を触れた。
「お詫びのキス、とか」
 目を閉じた晴香の顔が迫ってくる。このままじっとしていれば俺と晴香の唇は間違いなく重
なるだろう。
―― ほんの少し前の俺ならじっとしてたかもしれない。
 が、今の俺にじっとしているという気は更々なかった。
「せぇの!」
 晴香の両肩を掴んで逆に押し倒す。
「あん。そこはダメ。優しくしてったら」
 ちなみに俺は何もしていない。勝手に頬を染めて勝手に言っているだけだ。
「お前の思考回路はどうなってやがるんだ!」
「ん〜。あ〜ちゃんラブでいっぱい。だから……いいよ。あ〜ちゃんにならウチの全部あ・げ・
ちゃ・う」
 頭の中で何かがプツリと切れた。
「そんなもんいる――」
 そこまで言ったところで激しい足音が近づいてきた。
――な〜んか死の予感が。
 足音が止まったかと思うと、全身を悪寒が駆けめぐる。半ば確信を持ちながら俺はゆっくり
と視線の感じる方へ顔を向けた。
「んげっ!」
 やはり、そこには息を荒くした棗が立っていた。

「つうわけだ。前々からそいつは引っ付いてくる癖があるんだよ」
 話し終えた俺はため息をもらしつつ、未だに髪を引っ張られ続けている晴香を見た。
「本当の本当に神に誓って何もなかったと?」
「当たり前だ。話し聞いてたらわかんだろ」
「そう。それならいいの。けれど、彼女の胸を鷲掴みしていた事実は消えませんよ」
 急に全身に寒気が走ったかと思うと、
「罰として」
 背後から抱きつかれた。
「お、おい。抱きついてくんなよ」
「黙りなさい。あの子にはさせて私にはさせないと? ……私の気持ちを知っている癖に拒否
すると? もしそんなろくでなしなら……」
 背中に押し付けられていた柔らかいモノが硬いモノにとってかわる。それが何なのかはこれ
までの経験から考えるまでもなかった。
「はいはい。わかった。わかったよ。抱きついてOKだ」
「よろしい」
 再び背中に押し付けられていた硬いモノが柔らかいモノへと取って代わった。
 数秒間の沈黙のあと、
「……心配したのよ」
 小さな声で棗は話し掛けてきた。
「俺は迷子になりやすい子供か」
「子供じゃないから心配したの。貴方を……あの子に奪われるんじゃないかと思ったのよ」
 あの子とは間違いなく晴香のことだろう。
―― 馬鹿馬鹿しい。何で俺が晴香に。
 そう思ってから嘆息をひとつ漏らし、
「何でも知ってるはずの法光院棗お嬢様の発言とは思えないな。少し調べればそんな可能性が
ないってのはわかっただろうによ」
「だ、黙りなさい。万能な私とて失敗はあります。こと彩…の事に…しては……」
「あ?」
 最後の部分がうまく聞き取れず俺は聞き返す。
「な、なんでもありません。貴方は黙って抱きしめられてればいいのです」
「はいはい」
 なぜかわからないが自然と笑みがこぼれた。
 と、
「あぁぁぁぁぁ! あ〜ちゃんが女の子に抱き締められてる!」
「なぬ!?」
 髪を引っ張られ、引っ張っていたダブルハルカが俺達を見て大声を上げる。
―― や、やば。
 過去これまでの統計からいって二人がこれからすることはひとつしかない。鬱陶しいことこ
の上ない状況に間違いなく陥る。
―― 逃げるか。
 と思ったが棗がスッポンの如く抱きついていて動けなかった。
「晴香! あ〜やに関する二人の約束条項その1を斉唱!」
「いえっさー!」
 敬礼しだした二人は同時に息を吸い込むと、
「あ〜やにアタックするときは二人同時に!」
「あ〜ちゃんにアタックするときは二人同時に!」
 同時に口を揃えて言い、
「というわけで」
「アタック!」
 同時に勢いよく飛びついてきた。
 結果。
「ぐえ」
 棗、晴香、春賀に押しつぶされるハメになる。
「お、重い……」
 総重量100kg以上に押しつぶされて重くないはずがなかった。
「ど、どきなさい! 私の安らぎのひとときを邪魔するなんて……万死に値します!」
「あ〜ちゃんは貴女だけのものじゃないんだよ!」
「だな。あ〜やはお前だけのものじゃない」
「いいえ! 彩樹は私のものです!」
 ついに俺の上で口喧嘩が勃発した。
「いつ、何時何分何秒地球が何回廻ったときにあ〜ちゃんが貴女のものになったのよ!」
「答えられるものなら答えてもらいたいもんだ」
「屁理屈を!」
 ぎゃ〜ぎゃ〜うるさいことをこの上ない。しかも動くもんだから肺が圧迫されて息を強制的
に吐かされ、ほとんど吸えなかった。
―― お前らどけよ。
 そう言いたくても苦しくて言うことができない。
『18歳の少年、口喧嘩する3人の下敷きとなって圧死』
 そんな新聞の見出しが頭をよぎったその時だった。
「良い年をした大人が3人も揃って何をしておるのじゃ!」
 凛とした声が部屋に響き渡る。
―― け、恵か
 小さなお嬢様が両腰に手を当てた格好で立っていた。
「何をしておられるのです! はやく彩樹の上から退かれよ!」
「あ!」
「お。あ〜や大ピンチ?」
「熱くなってて気付かなかった。てへ」
 指摘された3人が一斉に俺の上から退く。
「た、助かった」
 何度も大きく息を吸い込みながら言う。
「いんや〜ごめんごめん。チュ〜してあげるから許して、ね?」
「いらん」
 唇を突きだした状態で寄ってきた晴香の顔を全力でもって押しのける。
「あ〜らら。あ〜ちゃんご立腹」
「だね。そんじゃ話をそろそろ戻そうか。そこの子はわかるとして……小さなレディーはあ〜
やの知り合い?」
「ああ。そいつは――」
 棗の妹だと俺が答えるよりも早く、
「ふっ。よく聞くがよい。妾が名は法光院恵! 彩樹の婚約者じゃ!」
 薄っぺらな胸を張って大声で宣言する。
―― あ〜話しがどんどんややこしくなっていく……。
 そして、それは予想通りになって………。
 晴香と春賀が揃って俺を見ると、
「ロリ?」
「ペド?」
 そう同時に問いかけてきた。



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