第五十二話「ハルカとハルカ」
 聞こえてきた足音に顔を向けると、そこには……。
「んげっ」
 息を荒くした棗が立っていた。
―― マ、マズイ。
 晴香をマウントポジションで押さえ込んでいるこの状況は非常に危険だった。何と言い
訳しようにも誤解される。
 誤解される=死だ。
「な、なにをしているの……?」
「ご、誤解だぞ! 俺はこれっぽっちもやましいことはしてない!」
 死ぬのはごめんと慌てて俺は弁明するも、
「あ〜ちゃん、ここ1階」
 晴香が余計な冗談でちゃちゃを入れてくる。
「俺の命が消えるか否かの瀬戸際なんだからお前は少し黙ってろ!」
「そう誤解なの。ならその手は何かしらね?」
 言いながら棗は斜め下の方を指差した。
―― 手がどうしたって?
 顔を自分の両手に向け、事態を理解した俺は全身から血の気が引いていくのを感じた。
「のわっ〜〜〜〜!!」
 全力で晴香から離れる。あろうことか両手は程良くある晴香の胸を鷲掴みしていた。狙
ってやっていたわけじゃない。体を支えようと地面に手を添えていると思っていたら地面
が胸だったってだけだ。
 とはいえ。
―― 結果だけを見たら……そうは思わねえよな。
 恐る恐る棗を見る。
「………っ」
 顔を俯かせたまま全身を振るわせていた。
「ねえ、あ〜ちゃんあ〜ちゃん」
 立ち上がった晴香が服の裾を引っ張る。
「何だよ」
「とっても気持ちよかったよ。やっぱあ〜ちゃんに揉んでもらうのが一番か・も♪ 相変
わらずのて・く・に・しゃ――む〜」
 頬を染めて言う晴香の口を慌てて塞ぐ。
―― マズイマズイマズイマズイマズイマズイ!
 間違いなく今ので死亡確率は5割増し。逃げようにも即座にメイド女によって取り押さ
えられることが考えられる。頬を冷たい汗が伝い落ちていった。
「彩樹……」
 棗の声と銃のハンマーが引かれる音。二つが導き出す答えはひとつしかなかった。
「……おしまいだ」
 殺気に満ちた眼差しとリボルバー拳銃の銃口が俺に向けられていた。
「どこへ行ったのか心配して、不安になって、来てみれば幼なじみの女の子といたしてい
る最中? これはもう殺されても文句言えませんね」
「誰が誰といたしていた!」
「彩樹が、気持ちよさそうに貴方の胸へすり寄っている本郷晴香と」
 言われて俺は晴香が小動物よろしく胸にすり寄っていることに気付いた。
―― ば、万事休す。
 棗の指が引き金を引こうとしたそのとき、
「これは何の騒ぎ?」
 横から延びた手がシリンダーを掴んだ。
「なっ。離しなさい!私を誰だと思っているの!」
「ん〜。さあ、知らない。君とは初対面……いや、違うか。とりあえず物騒な物は没収ね。
あ〜や無事?」
 棗から銃を奪った人物―幼なじみの芦原春賀が顔を出した。
「あ、ああ」
「そりゃなにより。んで、晴香はなぁ〜にしてんのかな?」
 緩んだ笑顔が針のように鋭いものになる。
「何って。見たらわかるじゃん。あ〜ちゃんに甘えてるの」
「あ〜ったく。甘えるなら恋人のハルに甘えろっての! 俺じゃなくハルに!」
 引っ付いている晴香の両肩を掴むと、俺はハルに向かって押し出した。晴香を受け止め
たハルはぽん、とその頭に手を置く。
「ハルカさぁ……オレとの約束忘れたの?」
 置かれていた手がおもむろに晴香の髪を鷲掴みした。
「あたたたたた。痛い痛い痛いよ!ハルってば痛い〜」
「約束を破ったバツ。ほうれほうれ」
 ハルは容赦なく髪を掴んだまま腕を上下させる。当然ながら髪の毛の主である晴香も上
下した。
―― ……修羅場?
 予想できなかった展開に俺は唖然となった。
「い、いったい何がどうなっているのか説明なさい」
 いつの間にか隣にいた棗が俺の袖を引く。その顔に、瞳にはさっきの鋭い殺意は微塵も
感じられなかった。いきなり勃発した二人の喧嘩?に毒気を抜かれたらしい。
 俺は一度大きく息を吐いてから、
「紹介するよ」
 髪を引っ張り引っ張られてる幼なじみを見た。
「俺の幼なじみの本郷晴香と芦原春賀だ。ちなみにあいつら二人は恋人の関係だよ」
「幼なじみの恋人を寝取ろうとしたの」
 疑心に満ちた半眼で棗が睨んでくる。
「違うって。いいか、良く聞けよ」
 一刻も早く誤解を解こうと棗が来るまでに起こった出来事を話した。

誤解を解かなきゃ俺死ぬよ!


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