第五話「昨日の常識は、今日は非常識」

 午前8時30分。
 俺は、私立アーマビリータ女学院の駐車場の端っこで無様にも倒れていた。柔らかな芝
生は天然の布団となって俺を受け止めてくれている。
 まさに疲労困憊な状態だった。
 上り坂の多い道で、棗の車よりも速く到着するためには全力で漕ぐしかなく、後の事な
ど考えずにそれを実行した結果だ。
 勝敗はというと……自分でも信じられないが勝利した。
 あの自己中お嬢様の車はまだ到着していない。これで5ポイントゲットだ。
「し、しかし……これだけ苦労したってのに、た、たった…5ポイント…かよ」
 そう俺が愚痴った所で銀のリムジンが目の前―正確には足の前―に停車した。すぐさま
運転席から出てきたルクセインが扉をひらく。
「あら、速かったのね」
 出てきた棗がわざと驚いた声で言う。いつの間にか私服から制服に着替えていた。
「そ、そっちは……随分と、の、のんびりだった、じゃねえかよ」
 息を整えつつ、馬鹿にするように言ってやった。
「どこかのお馬鹿さんが事故など起こすから渋滞が長引いたのよ。運が良いわね」
「負け惜しみいいやがって。これで5ポイントは俺のもんだ」
「もちろんです。勝者は貴方なのですから」
 素直すぎる棗に、
―― 今日は隕石が降ってこなけりゃいいがな
 思わず俺は空を見上げて確認してしまった。
「いま私を侮辱しませんでした?」
「い、いや、何にも」
 内心焦りながらも俺は冷静に答えた。
―― もし素直に『した』と言ったら……また銃をぶっぱなされそうだしな
 というか、異様に鋭い。今後気をつけよう。
「そう。……これから私は勉学に勤しんできます」
「とっとと行きやがれ。俺は疲れたからここで寝る」
 つうか起きたくても疲れて動かないのが正直な所だ。
「何を言っているの。貴方も来るのよ」
「はあっ!? 何で俺が一緒に行かなきゃいけねえんだよ」
「決まっています。貴方が私の奴隷だからです」
「間違えるなよ、世話係だ! そもそも俺に何をしろってんだ」
 つうか一緒にいけば目立つだろ。
 そもそも中で俺に何ができるのだというのか。授業参観よろしく後ろで見るくらいしか
できなそうなものだ。
 そう考え込んでいると、
「いつ、どんな時でも素早く主の命令を遂行できないで世話係と言えますか? とはいえ
――」
 無様に大の字で寝ている俺を見て棗がため息をもらした。それから哀れみを帯びた表情
を向けてくる。
「そのような状況では何もできそうにはありませんね」
 ムカついたが事実なので反論できなかった。
「良いでしょう。私も鬼ではありません。30分の休憩時間を与えます。この女神のよう
な私の大いなる慈悲に喜び、感謝し、それに報いるように今後尽くすことね」
「へいへい」
「32分以内に5階の1−Cへ来なさい。こなければ――」
 そこで言葉を止めた棗は手の平で己の首を切るジェスチャーをしてみせた。つまり命は
ないと言いたいらしい。
 こんな所で何を世話するのか検討もつかないが、とりあえずは雇われている身だ。内心
渋々ながらも俺は頷いてみせた。

 で、30分なんざすぐに経過してしまうわけで……。
「ここか」
 言われた通り1−Cの前までやってきた。
 中からは教師の声が聞こえてくる。間違いなく授業中だ。廊下に面した窓ガラスは曇り
ガラスを使用しているので中の様子を伺うことはできない。
「仕方ねえ。入るか……死にたくないしな」
 意を決して俺は教室の戸を開け、我が目を疑った。
―― いったいこれは何だ?
 教壇に立つ女教師……これはいい。机に座って勉強する女生徒……これもいい。だが、
授業参観の父兄よろしく教室の後ろにずらりと並んでいる男達は何だ。
 年は俺と同じぐらいか、下っぽいヤツ、明らかに下だろうというヤツもいる。服装は全
員がデザインが様々あったが執事だった。どうみても授業参観には見えない。
「貴方はどなた?」
 不審者を見る目で女教師が俺を睨みつけてきた。それは女生徒や男達も同じだ。
「お、俺は…その…」
 理解できない事態に頭がついていけず俺は言うべき言葉を見つけられずに口ごもる。
「彼は私の奴隷です」
 そんな俺を救ったのは教室の中程に座っていた棗だった。
「誰が奴隷だ! 誰が!」
「少々反抗期のようで。少しお騒がせすると思いますが皆様良くしてくださいませ」
 上品、かつ優雅に頭を下げてみせる棗。その仕草は完璧なお嬢様だった。まあ、実際本
物の金持ちお嬢様なんだが。
「まあ、法光院さんもついにお買いになったの」
 と、何とも物騒な事を女教師は平然と言ってのけた。まさかと思い俺は微動だにしない
男達を見た。
「察したと思いますけれど、彼らは皆、彼女たちの奴隷です」
 俺の考えを察した、棗が後ろの連中を見ながら言う。
―― ここは本当に日本なのか?
 誰もがそう疑いたくなるだろう。
 さすがは資産5億以上でなければ入学できない超お嬢様学園。世間一般の常識というも
のが欠如している。つうか、金持ちのお嬢様は奴隷を買うのが流行なのだろうか。
「とりあえず彼らと同じように並んで立ってなさい。そうね。ここに初めてきたのですか
らこれを読んでおきなさい」
 女教師から一冊の本を渡される。
 『奴隷100の心得』。
 即座に地面へ叩きつけてやった。
「誰がこんなもん読むか!」
「まあ、何と野蛮なのかしら。でも、先生は強気の子は好きよ」
「窓から飛び降りて、頭打って一度死んでから出直してこい。このオバン」
 半眼で女教師を見、俺は嘆息した。とたん、女教師の顔がひきつった。同時に教室の空
気が一瞬にして張りつめる。
「法光院さん……本当に貴女の奴隷は躾がなっていませんね」
 さっきまでとうってかわって女教師のトーンが低く、冷たいものになった。
「申し訳ありません。謝罪いたします」
「私の口座にレベル3のお金を振り込みなさい」
「はい」
 そこでチャイムがなり、俺は問答無用で棗に外へ連れ出された。

 連れ出された先は屋上。
 誰もいない。ま、短い休みの中で屋上へ来るお嬢様達がいるとは思えないが。ここまで
連れてきた棗はくるりと身を翻し、
「感想をどうぞ」
「そうだな。……ここは本当に日本なのかと問いたいね」
「間違いなく、正真正銘この土地は日本です。ただ、法律という名の束縛が一切ない事だ
けは日本とは違いますけれど」
「おい、それは無法地帯と言うんじゃねえか?」
「いいえ。法はあります。『日本の』法律がないのです」
 日本のを強調して棗は言う。その非常識さ加減に俺は頭を押さえた。
―― 頭痛がする
 よもや周囲まで非常識だったとは……。
 俺が棗百科事典で入手したこの学院の情報は、
 1.両親(家)の資産が5億以上でなければ入学資格はない。
 2.教師も用務員も全て女性のみ採用
 3.小学校から大学までの一貫教育制。
 4.金持ちのお嬢様のステータスとなっている
 の4つだけ。その4つの情報で思い描いたのは、少し男が苦手な箱入り娘の女の子達が
いる場所だったが、それは大いに裏切られたということだ。
―― いや、予想すべきだったのかもな
 大きなため息を漏らしてから、何が楽しいのか笑みを浮かべている棗を見た。
「何かしら。もしかしてやっと私の美しさに気づいてひざまづく気になりまして?」
「マズイな。さすがに疲れが溜まったか。幻聴を聞くとは……」
「……まあいいでしょう。とにかく。この学院は貴方の常識は通用しません。その事は十
分に理解しなさい」
「いや、もう十分理解した。だがひとつ気になることがある」
「何ですか?」
「さっき女教師が口座にレベル3の金がどうだかってのは何だ?」
 俺の問いに、棗はやや考える素振りを見せてから、
「言葉通りです。口座に指定の金額を振り込め、そうあの人は言ったのですわ」
 さも当然とばかりに言う。
「ちなみにいくらだ?」
「レベル3なので100万です」
「ひゃ、100万!? ちょっと待て! それっていいのか?」
「この学院の法律のひとつです。己の、又は奴隷の失態は金で償う。法律の中ではもっと
もポピュラーなものよ」
「何でも金で解決かよ。腐ってやがるな」
 俺は吐き捨てるように言ってやった。だが言葉の意味を、棗の行動からひとつの結論が
頭の中でまとまった。
「ってことは、俺はお前に借りができたってことか」
「そうなりますね」
 不敵に微笑む棗。その笑みが何を意味するか考えたくもない。
「とりあえず今日は何もせず、何も喋らず立ってなさい。けれどもお馬鹿なままでいろと
は言っていませんよ」
「ああ」
 ようは学べと言いたいのだろう。
―― ぜってえ学びたくないってのが本心だがな
 げんなりした所で予鈴が鳴る。

 それはまるで戦いのゴングに聞こえた。

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