第四十七話「無人島だ、故に漂流者有!」

 ドラム缶に詰め込まれ、海を漂い続けてた末にこの島に漂着してからひと月が経過しよ
うとしていた。
 最初は無人島で朽ち果てるのだと諦めていたが、どうやら資産家の持ち物らしい。大小
いくつかの邸が建ててあり、どれも都合よく無人でセキュリティーが簡易だった。おかげ
で雨露が楽に凌げ、食料も容易に手に入り生活には不自由しなかった。
―― 神はまだわたくし達を見捨ててはいなかったのだわ。
 無神論者でありながらも神に感謝した。
 後は島から脱出し、自分をこのような生活におとしいれた法光院棗に復讐するのみ。脱
出の方法は簡単だ。
 この島には飛行場があった。ということはいずれ持ち主である資産家が自家用機でやっ
てくるのだろう。
―― それを奪って戻るのよ!
 その日が一日も早く来ることを願いながら、復讐の方法を考える毎日が続き……。

 そして、待ちに待ったその日がやってきた。

 しかし、脱出する気は失せた。

 自家用機の側面にある法光院家の家紋。着陸した機内から現した人物を見てわたくしは
喜びに打ち震えた。
―― まさかこの島の持ち主があの憎き法光院棗だったなんて。
 もはや運命としか考えられない。そう、天があの女を倒せとわたくしをここに導いたの
だと。ひと月でこの島の構造、道、隠れられる場所、罠に最適な場所は頭に叩き込んであ
る。地の利は余りあるほどこちらが優勢だった。
「見てらっしゃい。法光院棗。このわたくし……龍泉華琳を生かしておいたこと後悔させ
てあげますわ」
 そうとなれば行動あるのみ。
「隷!」
「はい、ご主人様! ぶっていただけるのですね!」
「それは後でね。今は憎き法光院棗に復讐が先決よ。どうすればいいのか……わたくしの
奴隷であればわかっているでしょうね?」
「はい! 僕の知り得る罠でお嬢様を苦しめた奴らに復讐を!」
「結構だわ。ならすぐに準備をするのよ」
「はい!」
 満面の笑みで頷いてから隷は森の中へと姿を消した。
―― さて、あの子の罠だけではいささか不安ね。
 そう思い踵を返して海へと向かう。
「ここで手懐けた"あの子"にも手伝ってもらおうかしら。ふふふふ、自信に満ちたあの女
の顔を苦痛と恐怖で引きつらせてあげるわ」

 そう、絶対に……。

 翌朝、暑さで目を覚ますと俺の体は砂に埋まっていた。
「……なんでやねん!」
 つい大阪弁のツッコミが口から出てしまう。
「な、何で俺は砂に埋もれてんだよ!?」
 訳がわからない。
―― というかここはどこだ?
 左右にしか動かせない首を存分に動かして周囲を窺う。
 真っ白な砂浜、透き通った海水、そして生い茂った木々。自分の知る邸の光景はどこに
もなかった。
「とりあえずここから出ねえと……ふん!」
 全身に力を込めて砂から脱出しようとしたがびくともしない。体の上の被せられた砂の
量が半端ではないのだ。
―― もしこのまま出られなければ。
 日干し決定。干からびてミイラになった哀れな自分が頭に浮かぶ。
「のぉぉぉぉぉ!」
 全身全霊の力をもって脱出を試みるがあえなく撃沈。砂からの脱出は叶わなかった。
「ああ、俺はこのまま干物になって海へ還るのか……」
 何とも哀れな死に方に俺はサメザメと泣いた。
「何を言っているの」
 頭上からかけられた困った子供でも見た時のような声。
「あ? そりゃこのまま日干しになることへの悲しみを……」
 その声の主を見て、俺は言葉を失った。
 なぜって。そりゃ黒の水着を着た棗が前屈みになって俺を見下ろしていたからだ。
 更に、
―― ムネノタニマガミエマスヨ。
 あまりにも刺激的な光景を見せ付けられて危うく脳に過負荷がかかって停止するところ
だった。そっと気づかれないよう目線を反らす。が、
「あら、彩樹には刺激が強すぎたかしら?」
 目敏く気づいた棗は小悪魔のような笑みを浮かべた。
「そ、そんなわけないだろ。そもそも俺はお前の下着姿だって見てるんだぞ? それに比
べりゃ水着なんざ――」
 反らした視線を戻す。1,2,3……再び視線を反らすハメになった。
「私の勝利は近いようね」
「か、勘違いするな! たかが水着姿を見せたからって好きになるわきゃねえだろ! こ
れはただ単に慣れてないだけだ!」
「つまりウブだと言いたいのでしょう。……それならビキニにすれば良かったかしらね」
 完全に手玉に取られてしまっている。非常に良くないし気に入らない。
「んで、ここはどこだ?」
 何とかイニシアチブを取り戻さなければと俺は話を変えた。
「昨日言ってあったでしょう? 私のプライベートビーチです」
「……俺が砂に埋もれてる訳は」
「貴方が寝ている間に連れてきたのですが、到着しても一向に起きようとしないのが腹立
たしかったので埋めてみました」
「埋めんなよ! ……ちなみに寝込みを襲ってないだろうな」
「……その手もありましたね。迂闊でした」
 寝込み攻撃が未遂であることに俺はホッと安堵した。
「とりあえず俺を出せ。暑くてたまらん」
「自力で出なさい。そうしたら遊ぶのを許可してあげます」
 そう言って棗は近くに用意されていたデッキチェアに寝そべる。本気で放置するつもり
らしい。
―― 大海原目の前にして生殺しですか。
 段々ムカついてきた。
―― 絶対にこの砂から出てやる!
 怒りを力に変えて俺は何度も脱出を試みた。
 結果、1時間後にようやく抜け出すことができたが、その頃には全身ヘトヘト……遊ぶ
力なんてあるはずもなく、棗の隣にあったデッキチェアに倒れ込む事と相成った。
「情けないことね」
 倒れ込んだ俺に向けて棗は慈悲の欠片もない言葉を浴びせかけてくる。
「だったらお前にも同じ事してやろうか〜〜」
「やれるものならやってご覧なさい」
「……も〜いい。寝る」
「泳がないというの? 恵も貴方を待っているのよ」
 そう言って棗は海を指差した。
 顔を上げて海の方を見る。底まで透き通って見える海の中で恵がゴウリキに手を引かれ
ながら泳いでいた。
「泳ぎを教えるのではなかったの?」
「……そうだった。約束は守らないとな。……よし、行くか!」
 重い体にむち打って立ち上がり、
「お〜〜〜い! 恵、泳ぎ教えてやろうか〜〜〜!」
 大きく息を吸ってから恵に向かって叫ぶ。
「お〜〜〜! ようやく抜け出せたのじゃな! 教えてくれるのならば教えてほしいぞ〜
〜〜〜!!」
 俺の声にも負けない声量で答えが返ってきた。
「ならいまそっちにいく!」
 俺は軽く準備運動してから海に入った。
「んで、どの程度できるんだ?」
「うむ。ばた足だけじゃ! 息継ぎはむろんできぬぞ! はっはっは」
 ゴウリキの肩の上で恵は薄っぺらな胸を反らせた。
「はいはい。なら息継ぎの練習から行くか」
「うむ。頼むぞ」
 ゴウリキの肩から飛び降りた恵を受け止めてゆっくりと海に浸からせる。
「んじゃ、海面に顔を付けたままばた足しろ。そんで3秒数えたら顔を上げる。これを続
けるぞ」
「ほむ。わかった」
 言われた通りに恵が泳ぎ始める。と、後方から聞こえた水音に振り返った。
「棗か」
 寝ているだけではつまらなくなったのだろう。綺麗なクロールで沖の方へ泳ぎ始めた。
―― あれだけ泳げれば心配する必要もないな。
 そう思った時だった。
「ん?」
 棗の泳ぐ先の海面に何か出ていた。
 三角形。そう、三角形で黒い物。大きさは大人の手2つ分程度だろうか。遠くてよくわ
からない。その三角形は何かを探すように右へ左へと動いていた。
―― まさか、な。
 ところがそのまさかだった。
 海面から飛び出した鋭角な顔、人など簡単に食いちぎるであろう鋭い牙。
 鮫。しかも凶暴なホオジロザメだった。
 強大で凶暴な生物は棗という格好の餌に向けて凄まじい速さで移動を始めた。
「棗!」
 危険を知らせようと慌てて叫ぶ。俺の声が届いたのか、棗は泳ぐのをやめてこちらを見
た。しかし、それがいけなかった。
 鮫が止まった獲物向かって高々と跳躍……棗ごと海面へと沈む。後に残ったのは高々と
上がった水柱だけだった。

「棗――――――っ!!!」

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