第四十五話「誓約変更、そして…」

 真っ直ぐに棗の目を見ながら俺は言った。
 「お前が死ぬって言うんなら、俺はこのまま引き金を引くってことだ」
 と。

「う、嘘よ。貴方がそのような事をする理由がないもの」
「いいやあるね。もしお前がこのまま死ぬとする。そうなると……俺はメイド女やその他
不特定多数から生き地獄を味あわされる」
 確実に、絶対に、間違いなく、120%の確率で。
 ちらっと玲子を見ると、まるで肯定するかのように口元に嫌な笑みを浮かべていた。
―― マジで生き地獄は勘弁したい。
 あいつらの考える生き地獄を想像するだけで全身が震えた。
「あ〜もしかしてお前の為に死んでやるとか思ったか?」
「……少し」
「そりゃすまんね。だがよ、お前に死んでほしくないって思ってるよ」
 本気で思っている。
 何だかんだされたが2ヶ月という時間は俺の中に棗という存在を根付かせるには十分だ
った。恋愛感情とは違う。友情ともどこか違う。
―― 何なんだろうな、これは。
 自分でもわからない。
 ただ、
―― 棗が死んだら俺はきっと寂しく思うだろう。
 それだけは確実に言えた。
「で、どうする?」
「……無理よ。貴方にそんな勇気ない」
「2ヶ月前の俺なら無理だったかもしれないが、お前と出会って色々度胸のつくような経
験したからな〜」
 おかげで何度も死にかけた。
「けれど、死なないとしても私は貴方の愛を手に入れられない。それなら生きていても…
…」
「ん〜〜じゃま、一緒に死ぬとするか」
 大きく深呼吸。死を前にして心臓が激しく鼓動する。
―― さすがに怖いな。
 これから死ぬ。死ぬんだ。
―― 母さんやあのん、あいつらにもう一度会いたかったな〜。
 こっちに来てからずっと会っていない連中の顔が脳裏に浮かぶ。
「ワリィ、文句はみんながあの世に来たらじっくり聞くからよ」
 死んだ場合は、と心の中で付け加える。
「じゃあな、棗」
 目を閉じてゆっくりと指に力を加える。
―― あ〜賭は負け……か。
「ダメぇ!」
 耳に届いた棗の叫びと近づいてくる足音。引き金が重くなり、銃弾が吐き出されようと
したそのとき、
「玲子! 彩樹を止めなさい!」
「お嬢様のご命令ですので」
 メイド女の声が聞こえたかと思うと、右腕と頬に鈍い衝撃が襲った。
―― はい?
 目を開ければ銃は遠く彼方にあり、俺は宙を舞っていた。
「お、おぉぉぉぉぉぉぉ!?」
 ゴロゴロと屋根の上を転がっていく。
 そして、
「お!?」
 屋根がなくなった。
 イコール。
「落ちます落ちま〜〜〜す!」
 そんなわけで重力に引かれて地面へ。
「彩樹!」
 棗が手を伸ばしてくるがすでに遅い。どんどん地面が近づいてきて……落下というとこ
ろで、
「展開!」
 止まった。メイド女達が広げたシーツの上を何度かバウンドして。助かったとわかって
俺は大きく息を吐いた。
「いや〜生きてるっていいね〜」
「わたくし共がいたからです。その点をお忘れなく」
 名も知らないメイド女が言う。
「はいはい。忘れないよ」
「それと」
「あ?」
「腹筋に力を入れた方がよいかと」
「何で?」
 理由を問うと、そいつは静かに上を指差した。視線を指先へと向ける。
「のわ!?」
 あろうことか棗が屋根から飛び降りて真っ直ぐ俺に向かって落下してきていた。
―― 逃げなけりゃ潰される!
 慌てて起きあがろうとするが、
「失礼」
 メイド女達が一斉にシーツを上下させやがったのでバランスを崩された俺は再びシーツ
に転がる。
 で。
「ぐへ」
 仰向けになった俺の腹に棗が落下。だいたい3階建ての屋上から飛び降りた際に生ずる
衝撃を叩き込まれた体はくの字にさせられ、肺からは強制的に酸素を奪い取られた。
「彩樹! 生きてますね!」
 肩を掴んで棗が俺を揺すってくる。
「い、いや、死ぬかも」
 お前に潰されたから。失った酸素を取り戻しながら涙目で腹の上にいる棗を見た。
「つ、つうか何で……飛び降りてんだよ」
「そ、それは……少しでも早く貴方の無事を確かめたくて……」
「逆に無事じゃなくなるところだったぞ」
「ご、ごめんなさい」
「………」
 ありえない単語を耳にして俺は言葉を失う。
―― 聞きました? 皆さん聞きました? あ、あの棗がごめんなさいですよ!?
 最低でも槍か、最悪巨大隕石でも降ってくるんじゃないだろうか。視線を空に向けるが
いるのは小鳥だけだった。
「その、彩樹?」
「あ?」
「答え、聞かせて」
「とりあえず、お前に恋愛感情はない」
 下手な慰めをせずに俺は正直に答えた。
「……そう」
「でも、嫌いってわけじゃない。こういうのってなんつうんだっけかな? ん〜友達以上
恋人未満? いや、違うな。う〜〜ん」
 先ほど同様に今の状態を説明できる言葉が思いつかない。
「別に希望を持たせるような言葉を言おうとしなくてもいいのよ」
「希望ね〜」
 ひとつ思いつく。
―― けど、負ける可能性高そうな気もする。
 元々顔はいいし、それに今までと違って何だか妙に可愛くなってるし。
「ま、いっか」
「何が『ま、いっか』なの?」
「ああ。お前と出会った時に誓約しただろ?」
「1万ポイントの件ですね」
「そ。お前の命令に勝って勝って勝ち続ければ解放されて2億円プレゼントのヤツだ」
「その誓約は貴方を私の元にいさせる為のもの。誓約はなかったことに――」
「内容変えろ。2年以内にお前の命令に勝つことから、お前が俺を惚れさせることによ」
「え」
 さすがに驚いたのか棗の目が大きく見開かれる。
「もう一度言った方がいいか?」
 ブンブンと音が聞こえるほど激しく棗が首を左右に振る。長い艶やかな黒髪が俺の顔を
何度も撫でた。
「で、どうよ?」
「この法光院棗に勝つ自信があると?」
 そこにはさっきまでの暗い表情はなく、いつもの自信に満ちた棗の顔があった。
「さあな」
「……いいでしょう。その勝負受けてあげます。とりあえず先制攻撃を――」
 そう言うと棗は目を閉じて顔を寄せてくる。
―― って、いきなりか!?
 何とも積極的な棗の行動に頭がパニックを起こす。
―― 逃げるか? 逃げないか?
 二つの選択肢が頭の中で交互に表示される。そんな事を考えている間にも棗の顔は近づ
いてきてるわけで、もうすぐそこまできていた。
―― ええい、ままよ!
 これは勝負であり攻撃は受け入れるべきだと思って俺は目を閉じた。
 そして唇に触れる冷たくて堅い感触。
―― ……冷たくて堅い?
 変に思って目を開ける。
「ふご!?」
 煌めく銀の刀身が俺と棗の唇の間にあった。
「ほっほっほ。彩樹の決縁者としては見過ごすわけにはいきませぬからのう」
 いつからいたのか刀を手にしていた恵がからかうようにウインクしてみせた。
―― 助かったんだかそうでないんだか。
 複雑な気分だった。
「よくも、よくも良い所を邪魔してくれましたね」
「彩樹を奪われるわけにはいきませぬからな」
「……そもそもなぜ貴方が邸にいるの」
「よくぞ聞いてくださった。今日から妾もここに住むのじゃ!」
 一同沈黙。
「その為の用意もしてきておる」
 巨大な風呂敷包みを背負ったゴウリキと一般的な大きさの風呂敷包みを背負った恵の侍
女達が視界に入った。
「私が許すとでも?」
 俺から離れ、棗は上から恵を睨みつける。
「それ相応の代価は支払うつもりですじゃ」
「そんな物はいりません。早々に自分の邸に帰りなさい! 帰らぬと言うのであれば――」
 棗が右手をあげた。一斉にメイド女達が銃を恵に向ける。で、メイド女達がシーツから
手を離したので俺は地面に落下。したたかに腰と頭を打ち付けてしまう。
「妾はこの考えを改めるつもりはございませぬ。姉上なら妾の気持ちを理解していただけ
ると思いますが?」
「わかるからこそ許可できないの」
「ほむ。道理ですな。ではここは彩樹の意見を聞くというのはどうじゃろうか?」
「……良いでしょう」
 視線が俺に集中する。
「いや、俺の意見って言われてもな」
 困った。滅茶苦茶困った。
 どっちに転んでも俺が不利になる。かといって両方を尊重できるような意見など思いつ
けない。
「さあ、彩樹」
「言うのじゃ」
「あ〜〜、ならじゃんけんで決めるってのはどうだ? 公平だろ」
 急かされた俺はついそう言ってしまう。
「ほむ。なるほど、公平じゃのう」
「少し不服ですがいいでしょう」
 意外にも二人は納得してくれた。
「んじゃ、何を出すか決めたか?」
 二人は頷く。
「じゃ〜〜んけ〜〜〜ん!」

『ぽん!』
 棗→グー。
 恵→パー。

 よって、勝者は……。

「妾の勝ちじゃ!」

 小さな勝利者がゴウリキの手によって高々と持ち上げられる。

 心底嬉しそうな恵と、心底悔しそうにしている棗を見て、
―― あ〜何だかますます騒がしくなりそうな気がするぞ。
 俺は大きくため息をもらす。

 見上げた空には何故かVサインの形をした雲が漂っていた。

次は夏って感じの話しだと〜。

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