第四十四話「過去での邂逅−A」

 12年前。
 私はお祖父様の『子供は子供らしい生活が出来る場所で』というお考えから庶民の子供
が集まる普通の幼稚園に通うことになった。

 姉以外で子供、それも同じ年の子と出会えると知って私は心から喜んだ。
 初めて知る遊び。
 鬼ごっこ、かくれんぼ、コマまわし。何もかも楽しかった。何よりひとりじゃないこと
が楽しさを何倍も感じさせた。
 けれど、私は知ることになる。
 今まで友達だと思っていた子達の目的を。
 親を法光院の庇護に与らせる為だけに友達になったという事実を。
―― 友達だと思っていたのに。信頼していたのに。
 『偽りの友達』は私の想いを裏切っていたのだ。
―― 許せない……許さない。
 私は『偽りの友達』をその両親も含めて……抹消した。私の前からも、社会からも。

 必然的に私へ近づく事はおろか干渉するものすらいなくなった。

 楽しかった毎日から一変して、恐怖と嫌悪の視線だけが向けられる毎日。

 そんな毎日は私の心に強い猜疑心を抱かせるには十分だった。

 彩樹と出会ったのは入園からひと月が経過したある日。

 その日も変わらず私は教室の隅で膝を抱え、じっと一日が終わるのを待っていた。私な
ど初めからいない事にしてクラスメイト達は楽しく遊んでいる。
―― こんな時間……早く終わってしまえばいい。
 つまらない時間。空虚な時間。ここにいるだけで苦痛だった。お祖父様にいらぬ心配を
かけまいと思っていたが、
―― いっそのことこんな場所消してしまおうか。
 そう考えた時だった。
「はぁ〜〜はっはっは! みんなのヒーローむろみねあやき、けんざん!」
 大声で叫びながら園児が教室に飛び込んできた。
 それが彩樹だった。突然の珍入者に私を除いた全員は目を丸くさせる。
「ちょ、ちょっと君! 君は年長さんでしょう!」
 正気に戻った先生が叱るも、
「あ、おまえだな」
 無視して彩樹は私の前までやってきた。
「なに?」
「おまえがうわさのやつか?」
 噂。きっと私に関わった者が消えた事に対するものだろう。
「そうよ。それを承知で私に近づくというの?」
「おう」
「そう。……玲子」
 私は静かに信頼のおけるメイドの名を呼んだ。刹那、傍らにメイドの玲子が姿を現した。
「いかがなさいますか?」
「二度と私に近づこうと思わないよう痛めつけて」
「かしこまりました」
 頷いて玲子は彩樹を蹴り飛ばした。更に倒れた彩樹へ攻撃を加える。そこに手加減はな
い。呻き、泣いても玲子は彩樹を蹴り続けた。
 やがて彩樹は動かなくなった。痛みで気絶したのだろう。
「終了いたしました」
「ご苦労様。このまま置いておいても邪魔だから彼の教室に捨ててきて」
「はい」
 動かない彩樹の頭を掴むと、そのまま引きずって玲子は教室を出ていった。後に残った
のは怯えた園児と先生、そして……彼が吐いた血の跡。
―― 馬鹿な子。
 私に近づかなければ痛い思いをせずにすんだのに。
 けれど、もうわかったことだろう。私に近づけば傷つくと。
 あれだけ痛めつけられたのだから彼は二度と私に近づかないに違いない。

 そう思ったが……。

 翌日のおけいこが始まろうとしていたそのとき、
「このやろ〜〜〜〜ひきょうだぞ〜〜〜〜」
 あろうことか彩樹は再び私の前にやってきた。
 腫れた顔には湿布が貼られ、腕や足も包帯が巻かれていた。恐らく動くだけで体のあち
こちが痛むはずだ。
―― そんな体で幼稚園に、しかもここへ来るこの子は馬鹿?
 あれだけ痛めつけられて再びやってくる理由が私にはまったくもって理解できなかった。
「あ〜いて〜〜」
 喋るだけでも痛むのか彩樹は両頬を押さえる。
「何をしにきたの?」
「しょうぶだ! あ、こんどはあのおとなをつかうなよ! んで、しょうぶにかったらお
れのいうことをきけ!」
「いいでしょう」
 面白い勝負を思いついたので素直に私は了承した。
「玲子」
「ここに」
 隣に玲子が姿を現した。
「あ! そいつはつかうなっていっただろ!」
「玲子には手出しさせません。玲子、例の遊びをします」
「かしこまりました」
 手渡される黒光りする金属の塊。リボルバー式の拳銃だった。
「この中には1発だけ銃弾が入っています。ひとり1回引き金を引き、最後まで銃弾が撃
ち出なければ勝ち。もし、銃弾が撃ち出されたら……死にます」
 ロシアンルーレット。一度やってみたかったのだ。
「しぬ?」
 幼すぎて"死"の意味が理解できないのか首を傾げる彩樹に、
「もう二度と誰とも会えず、遊ぶこともできなくなるの。それでもやる?」
 私はわかりやすく説明してあげた。
「あったりまえだ!」
 答えた彩樹は私から銃を奪い取った。
―― 作戦通り。
 この勝負は初めに引き金を引いた方が負ける。
―― じっくり死の恐怖に震えるのを見てあげる。
 内心ほくそ笑む私を余所に彩樹は銃口を自分の頭に押しつけると、
「ふっふっふ。これのあそびにかつほうほうおれしってんだぜ。せぇのぉ〜!」
 迷うことなく引き金を引いた。
 カチ。カチ。カチ。カチ。乾いた撃鉄音が続けて4回教室内に発せられた。
「………」
 予想もできなかった彼の行動に私は言葉を失った。
 五連装式リボルバーで引き金を四回引く。それがどんなに無謀な事か彼は理解している
のだろうか。
「ほぅれやっぱそうだ〜! おれっててんさいだな!」
 弾の出なかった銃をお手玉しながら彩樹は大声で笑う。
―― まったく理解していない。
 態度から見て明らかだ。
 ならばなぜ四回引き金を引いたのか。その疑問を問いかけると、
「えいがでやってたから」
「映画って……もし映画と違って途中に弾が込められていたら死んでいたのよ?」
「ん〜そっか。ま、べつにいいじゃん。もうおわってるし」
 後先考えていない彼に私は心底呆れてしまう。
―― 何て子なの。
 一歩間違えば死ぬ行為を平然とやってのける。たとえ幼いという事を考慮しても驚愕に
値する度胸……いや、考えのなさだろう。
「んで、かったらなんでもいうこときくってやくそくわすれてないよな?」
「え、ええ」
 いったいどんな事を言うのだろうか。
―― どうせ親を法光院の庇護に与らせろとでも言うに決まってる。
 それ以外に考えられなかった。
「んじゃ、おれとこい」
 彩樹はそう言うと私の腕を掴んで教室から飛び出した。
「どこへ行くの!」
「おれたちのきょうしつ」
 その言葉通り、私は年長組のひとつ――ゾウ組の教室へと連れ込まれた。
「あ、あ〜やだ。いつからミイラおとこになった?」
「ほんとだ〜。あれ、しらないおんなのこがいるよ〜」
「だれだだれだ〜?」
 私達に気付いた園児達が続々と集まってきた。
「ね〜あ〜や、このこ、だれ?」
 一番最初にやってきた男児の声で他の園児達の視線が全て私に向けられる。
―― なんだろう。
 なぜか彼らの視線に嫌悪は感じなかった。
「ふっふっふっふ。きいておどろけおまえら! こいつこそうわさになってたねこぐみの
とらわれのおひめさまだ!」
 おお〜と園児達が歓声を上げた。
「え?」
 私は自分の耳を疑った。
―― 囚われのお姫様? 誰が?
 自分の置かれた状況がわからなくなった。
「どうだ、おれはひーろーだろ!」
「かっこいいぞ〜!」
「さすがヒーローだ!」
「あ〜やかっこいい〜。ほれる〜」
「おまえはほれるな!」
 一気に教室は大騒ぎになる。奥にいる先生も園児達にまじって彩樹に『かっこいい〜』
と言っていた。
「ね、ねえ」
「ん?」
「噂って、私に関わった園児がいなくなるということではないの?」
 気になって問う。
「は? おれはおまえがむしされつづけてるってうわさしかしらねえよ」
 何て、何て馬鹿な勘違いをしていたのだろう。その勘違いの為に彼を傷つけてしまった
事が今になって悔やまれた。
「なあ、せんこう」
「何だね?」
「こいつきょうからこのくみでいいよな?」
「ん〜、いいんじゃないか。救われたお姫様は王子様と幸せに暮らすものだし」
「だよな。つうわけでいまからおまえはおれたちのなかまだ。ともだちでもいいぞ」
 そう言って彩樹は手を差し出してきた。
「え……」
 どう答えて良いのかわからない。
 戸惑い。そう、私は今まで経験したことがない状況に激しく戸惑っていた。
「勘違いとはいえ傷つけた私をどうして……どうして受け入れるの?」
「きまってるだろ! ひとりはさびしいからな!」
「でも私は貴方を傷つけたのよ! 痛いでしょ?!」
「ああ、いたいぞ! でも、おれをこんなにしたのはあのへんなおとなだ。おまえじゃな
い。だからきにすんなって」
「でも!」
「でももすももでもな〜〜〜〜〜〜い! いいからおまえはおれたちのなかまになればい
いんだ!」
『そうだそうだ〜!』
「あ……」
 向けられたたくさんの笑顔。法光院の庇護など求めていない、本当の友達になってくれ
る子達が、求めていたものが目の前にあった。
「ほれ、あくしゅ」
 惚けている私の手を強引に握ってくる。
「ん? なんでこんなあついのにてぶくろしてんだ? う〜む、やっぱあくしゅはすでだ
よな! こんなのはポイだ、ポイ!」
「え!?」
 素早い彩樹の行動に止めるヒマもなく手袋は取られてしまう。そして私の手と彩樹の手
が直に触れあったのだった。

「そのとき私と貴方は決縁者になったの」
 そう言う棗はとても穏やかな顔をしていた。
「感想は?」
「いや〜無知ってのは恐ろしいもんだな〜と」
 覚えてはいないが、きっと特撮ヒーローに憧れてたから話しのような行動をしたんだろ
うと思う。
―― まさかそれが自分の人生狂わすだなんて昔の俺は思ってねえだろうな〜。
 少しだけ過去を変えたいと思った瞬間だった。
「だからこそ私は救われた」
「でもよ、たったそれだけで『愛』なんて生まれるか?」
「それだけ貴方が私の求めているモノを与えてくれたのよ。貴方の行動が私の心を強く掴
んだの。何より決縁者になったことが大きかった。あの頃、決縁者は私にとって運命の相
手。それに自分を孤独という名の牢獄から救ってくれた王子様がなった……『愛』が生ま
れては可笑しい?」
「あ〜いや、それは〜ん〜〜〜」
「……答えられないのならそれでもいい。どうせ私は死ぬのだから」
「おい。俺の答えは聞かないのかよ」
「答えならもう2回ももらったもの。……私の愛は成就しないという答えを」
――1回目はわかるが2回目っていつだよ。ったく、頑固っつうかなんつうか……。も
う、やるしかないな。
 言葉での説得は無理だと判断した俺は決意し、
「おい、メイド女。いるんだろ」
 棗を見たままどこかにいるであろう玲子に呼びかけた。
「なんでございましょう」
 間延びしていない口調。真剣モードの玲子が俺の隣に姿を現した。
「やっぱいたか。銃、持ってるだろ?」
「常備しています」
「なら俺に貸してくれ」
「銃で何を……もしもお嬢様に銃口を向けるというなら――」
「安心しろ。そんな事はしねえよ」
 そう、銃口を向ける先はたったひとつ。あいつをどうにかできるとしたらこれしかない。
「信じていいのですね?」
 考えを読みとろうというのか玲子がじっと睨みつけてきた。
「棗を死なせたくないだろ?」
「……いいでしょう」
 手品の如く出した自動拳銃が放られる。エアガンなら持ったことはあるが本物は初めて
だった。やっぱ玩具と違って本物は重い。だが扱い方は同じだ。
「さてっと」
 スライドを動かして初弾を弾倉に装填すると、銃口を地面に向けて引き金を引く。腕に
鋭い衝撃と痺れが走り抜け、乾いた銃声が響き渡り、銃口から吐き出された硝煙、そして
地面――屋根には穿たれた小さな穴。間違いなく本物だ。
「何をしようというの?」
「こうするんだよ」
 答えて俺は自分のこめかみに銃口を向けた。
 一か八かの賭。
―― 賭け金は俺の命。
 驚きで目を丸くさせる棗を真っ直ぐに見つめて、俺は言ってやった。

「お前が死ぬって言うんなら、俺はこのまま引き金を引くってことだ」

男は度胸ってか! 次回を待て!

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