第四十二話「狼少女だったのが悪い?」

 ずっと車内で棗は無言だった。少しも俺の方を見ようとはせず、じっと流れる景色をみ
たまま。邸に到着するまで一言の会話もなかった。
 が、ルクセインが扉を開けたかと思うと、
「来なさい」
 いきなり腕を掴まれ、逃げ込むような雰囲気で邸へ引っ張り込まれる。
―― 何だってんだよ。
 不可解な行動と話しをはぐらかされた事に内心苛立ってきていた。
「なあ」
 問いただそうと話しかけるも反応なし。
「おい」
 二度目も呼びかけにも返答なし。
「お―」
「部屋に戻ったら何もかも答えてあげます。だから今は黙りなさい」
 仕方なく俺は黙った。
 そして、
―― 何から訊けばいいんだろうな〜。
 と思う。
 やはりいつ決縁者になったことか、何で決縁者の意味を今まで黙っていたことか、それ
とも……。
―― やっぱ俺をどう思っているかだろうか。
 そう思った所で部屋にたどり着いた。中程まで連れ込まれてようやく腕を解放される。
背後で閉じる扉の音がやけに大きく感じた。
「さて、じゃあ訊かせて――」
 とりあえず何か質問しようと思い口を開こうとしたら、
「後ろ向きなさい」
 有無を言わさぬ口調でそう言われる。
「何でだよ、別にこのままでもいいだろ」
「いいから向きなさい」
 棗が何かを握るような形で右手を前に突き出す。間を置かずして銃がその手に収まった。
―― メイド女か。
 心の中で嘆息しながら俺は渋々従った。
「で、銃で脅してどうするつも――」
 背後からの衝撃。銃で撃たれたわけじゃない。殴られたわけでもナイフで刺されたわけ
でもない。
「……」
 後ろから抱きしめられていた。両手は逃がさないとでもいうようにしっかりと着物を掴
んでいる。
「お、おい」
 観覧車に続いての密着に俺は困惑してしまう。
「……ない。……たを恵には……いいえ、他の誰にも…対に……わた……ない」
 何か背後で棗が呟くが、小声の癖に背中に顔を埋めたままなのでうまく聞き取れなかっ
た。わずかに体を包み込む力が強くなる。
 数秒の沈黙。俺にとっては数分にも思えた沈黙。
 その沈黙を破って、
「彩樹、愛しています」
 棗は衝撃的な告白を口にした。
「……はい?」
 信じがたい告白内容に思わず聞き返してしまう。
―― いま、こいつはナント言った?
 自問しながら俺は棗を見た。
「貴方を愛していると言ったの」
 再度告げられた内容にハンマーで殴られたようなショックを受けた。
―― 棗が……俺を?
 愛してる愛してるアイシテル………。
 ハッキリいって信じられない。これまでの仕打ちを考えれば信じろと言う方が無理だ。
信じるヤツは馬鹿かアホかマゾか痴呆症ぐらいだろう。
―― ……そうか!
 俺はひとつの可能性を思いつき、棗の腕を引き剥がしてから扉を開けた。
「いないな」
 部屋の外には誰もいなかった。天井を見上げるが暗部メイドの姿はなく、いつも向けら
れているチクチクとした殺気も感じない。
 踵を返して今度は窓を開けて周囲を見渡す。
「……いない」
 続けてベットの下、壁、本棚の中、床と調べて見て回ったが同じだった。
「おかしいな」
 他には隠せる場所はない。
「絶対にあると思ったんだがな〜」
「何がしたいというの?」
 俺の行動を不可解に思ったのか棗は眉根に皺を寄せた。
「いや、カメラ探してんだけど」
「なぜ」
「だってドッキリだろ? その気になった俺をビデオに撮って笑った後で脅迫材料に使お
うってのはお見通しだっての」
 両肩を竦めて見せる。それしか俺に向かって『愛してる』なんて言う理由が考えられな
かった。
―― きっと遊園地での行動も布石だったんだな。
 危ない危ない。危うく赤っ恥を永久保存されるところだった。
「危うく一生お前にこき使われ――」
 そこまで言って俺は言葉を失った。いや、失わざるを得なかった。
 頬を伝う透明な雫。雫はそのまま顎から床に零れて床に小さなシミを作った。
 涙。
 人に向かって躊躇いもなく銃弾を浴びせ、過酷な労働も笑いながら命令するような、そ
んなヤツが……そんな棗が俺を見ながら涙をポロポロ零していた。
「お、おい。ど、どうしたんだよ?」
「……馬鹿っ」
 俺の問いに怒りと悲しみが入り交じった声で叫ぶと、踵を返して棗は部屋を出ていって
しまった。
「もしかして……マジだったのか? もしそうだとしたら――」
 自らの馬鹿さ加減に気づいた今になってチクチクと罪悪感が良心をつついてきた。更に、
そんな俺に追い打ちをかけるかの如く、
『な〜かせた〜な〜かせた〜。お嬢様を〜な〜かせた〜』
 メイド女−玲子がそんな歌を歌いながら目の前に姿を現した。
「べ、別に泣かせたくて泣かせたわけじゃ――」
 下手すれば殺されかねないので言い訳してみると、
『な〜かせた〜な〜かせた〜』
 メイド女が10人、俺を囲むように現れた。
『どう〜しよう〜どうしよう〜』
 玲子が同僚に歌で問いかける。
『こ〜ろそう〜こ〜ろそう〜』
 同じく歌で答えたのは更に増えた10人のメイド女達。
『どうやって〜こ〜ろそう〜』
 再び玲子が同僚に問う。
『は〜ちの〜す〜は〜ちのす〜』
 答えたのはまたまた増えた残り18人のメイド女達。気付けば片手で人を殺せるような
奴らに囲まれていた。端から見れば不気味な『かごめかごめ』かと思うが、実際にはメイ
ド女の機嫌を損ねたら殺される危険な遊戯だ。
 で、俺はこいつらの機嫌を損ねている。
―― これぞまさしく。
 死亡遊戯。
 メイドによって冥土に送られるなんてギャグが本気で実行されるかもしれない。メイド
女達から放たれる殺気に当てられて体が勝手に震え出してきた。
「ちょ、ちょっとタンマだ! 待てって」
「待て? どの口がほざいたのでしょうか」
「うが」
 リボルバー式の拳銃を口の中に押し込まれる。
「お嬢様を泣かせて待て? 発する言葉が違うのでは?」
 聞いた者の寿命を縮ませるような冷たい声。同時にメイド女達が俺に向かって大小様々
な銃を向けてきた。
「さようなら」
 酷薄な笑顔を浮かべながら、玲子は躊躇いもなく引き金を引く。
―― さらば我が人生。
 死を覚悟して俺は目を閉じる。
 が、予想していた銃声も衝撃もなく、代わりに無数の乾いた音が耳に届いた。口の中に
突っ込まれていた銃も引き抜かれる。
 どうやら連中の持っている銃には最初から弾丸が装填されていなかったらしい。
「何だよ。殺さないのか?」
「そうでございますね。ここにいる者全てが室峰彩樹、貴方を殺したいと思っています。
けれども貴方の生殺与奪権はお嬢様にあり、不本意な事にお嬢様は貴方の死を望んではい
ない……だから、殺しません。ただ、このまま何もしないというのであれば――」
 自然な動きで玲子はシリンダーを取り出して弾を込め、銃口を俺の額に押しつけてきた。
『我ら暗部メイド隊は己の命を捨てる覚悟で貴方を殺します』
 40人が一斉に殺人予告。だがそれも全ては棗の事を思っての行動なのだ。
―― はははは。こいつらよほど棗を慕ってんだな。
 殺されると言われているのに何だか自然と笑みが零れた。
「何が可笑しいというのです?」
「お前らをそこまで慕わせてる棗のヤツを凄いと思っただけだ」
「貴方が言わずともお嬢様はとても素晴らしいお方です」
「そんじゃ、どこない行っちまったその素晴らしいヤツでも探して話し合うとすっかな」
 銃口を押しのけてから立ち上がる。
 さすがにこのままでいいとは思わなかった。いきなりにしろ何にしろ俺は告白された。
それに対する答えはしなけりゃいけないだろうし、冗談と思ったとはいえあんな事を言っ
て傷つけた詫びもしなければならない。
―― さて、問題はあいつがどこへ行ったかだが。
 そう思って俺が小さく唸った時だった。
「一大事よ!」
 紅いのメイド服を着た女が駆け込んできた。
「あら、鏡花じゃない」
「あら鏡花じゃない、ではなくってよ! 玲子、お嬢様を護るべき貴女方はここで何をし
ているのです!」
 鼻息を荒くしながら鏡花と呼ばれたメイド女は暗部メイド隊を睨みつけた。
「貴女が焦っているのはわかったわ。だから落ち着いてその理由を話してくれる?」
「ええ、わかった。……お嬢様が屋根の上から身投げなさろうとしていますのよ」
 1秒ほどの沈黙。
「なんだと!?」
 事態を認識した俺は思わず叫んだ。
「何度か説得したのだけれど聞いていただけなくて……ああ〜いったいどうすればよいと
言うの。このままではお嬢様が、お嬢様が〜〜〜」
「屋根へはどうやって行ける!」
 俺はその場に両膝を付いて頭を抱えだした鏡花の肩を掴んで問いただす。
「え、あ、はい。えっと、その廊下を左に進んで7つ目の扉が屋根へと続く階段となって
おりますが」
「7つ目だな」
 鏡花は頷くのを見てから、
「ったく」
 小さく舌打ちを引き金に俺は全速力で部屋を出た。
―― あんの馬鹿はなに早まったことしてんだよ!
 自分が原因だとわかっていても無性に腹が立った。
「ここか」
 7つ目の扉。開けると真っ直ぐ上に向かって続く階段があった。
「身投げなんて冗談じゃない」
 阻止して。
―― 絶対に一発殴る。
 そんで俺も殴られよう。そして、謝ってから告白に対する俺の答えを言うんだ。

 そう決めて俺は階段を全力で駆け上った。

絶対に続くからな!

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