第四十一話「Triangular Loveaffair」

 右腕に加わる恵の体重。落下速度が加わっているのでかなり重かった。危うく落ちそう
になるところを観覧車の側面を地面に見立てて踏みしめ、
「こんのぉ!」
 そこを支点に恵を一気に中へ引き込んだ。半ば押し倒される形で観覧車の中に倒れ込む。
我ながらよくも腕が脱臼しなかったもんだと思った。
「はぁはぁはぁ……こんの、こんの馬鹿が! お前、自分が何したのかわかってんのか!」
 胸に顔を埋めている恵に向かって叫ぶ。
 もしかしたら下で何か準備していたのかもしれない。だが、たとえそうであってもして
いいことと悪いことがある。
「おい、お前も何とか言えよ!」
 顔を上げて棗を見る。
「ん?」
 なぜか棗は青い顔をしてどこか遠い所を見ていた。
―― 驚きのあまり意識がどこかにいったか?
 さすがに妹の飛び降り自殺未遂はショックが大きすぎたのだろう。何度か頬を叩くも反
応しなかった。
「ったく。おら、恵! 聞いてるのか?!」
 微かに恵の体が動く。それは次第に小刻みになって、
「っ……」
 何かを堪えるような声も聞こえてきた。きっと泣いているのだろう。
―― そりゃそうか。
 あんな所からパラシュート無しのダイブだ。怖かったに違いない。
「よしよし。怖かったな」
 俺は少しでも恐怖が和らぐように頭を上げてやる。
 が、
「はぁ〜っはっはっはっは! 勝ちじゃ! 妾が姉上に勝ったのじゃ! 妾はついに彩樹
の決縁者となった! 今日ほど嬉しい日はないぞ!」
 恵は泣いているどころか笑ってやがった。
「のう、そうであろう彩樹! 嬉しいであろう!」
 輝かんばかりの笑顔を浮かべながら恵が顔を接近させてくる。
―― はぁ? な、何がどうなってるんだ?
 状況を理解できなくて俺は瞬きするしかできない。
「聞いておるのか! 今日から妾もお主の決縁者となったんじゃぞ!」
「決縁者……そうだよ、決縁者って何だ! どんな意味があるんだよ!」
 そう言い返すと恵はきょとんとした顔になる。
「なんじゃ、姉上から聞かされてはおらぬのか? 妾はてっきり知っておるかと思ったん
じゃが」
「あ〜、何度か訊こうと思ったんだがチャンスがなくってな。丁度良いから教えてくれ」
 身を起こして恵を席に座らせる。
「良かろう。法光院家には色々と掟があってのう。決縁者はそのひとつじゃ。法光院の女
子は初めてその手に触れた異性と生涯共にしなくてはならない。今の時代で言うなれば…
…婚約者じゃな」
「こ、婚約者だと!?」
 叫んでから思い出す。
 法光院の邸で棗と神氏、そして棗の父親との会話を。
 棗は言った。
『室峰彩樹……彼が私の決縁者です』
 と。
 それに対して神氏は、
『儂は一向に構わん』
 棗の父親は、
『勝手にするがいい』
 と答えた。
 それはすなわち、
―― 家族公認!?
 俺は大口を開けたまま頭を抱えた。婚約、婚約婚約婚約婚約こんにゃく………。
「かなり驚いておるようじゃな」
 恵の声でハッと我に返る。
「あ、当たり前だろ。いきなり婚約者だって教えられて、しかも家族公認で……って、ち
ょっと待て。お前、さっき『妾はついに彩樹の決縁者となった』とか言ってなかったか?」
「うむ。間違いなくそう言ったぞ」
 おいおいおいおい。
「ってことは……お前も?」
 しっかりと恵は頷く。
「ついさっきから妾は彩樹の、彩樹は妾の決縁者……婚約者となったのじゃよ」
「うあぁぁぁぁぁぁあ!」
 ロリコンロリコンロリコン。良心が激しく俺の心を責める。
「そうかそうか。それほどまでに妾の決縁者になれたことが嬉しいか」
「激しく苦悩してるんだよ! 何だって俺と」
「決まっておろう。妾が彩樹を好いておるからじゃ」
 まったくもってストレートな答えだった。
「さて」
 急に恵は立ち上がって隣に腰を下ろしたかと思うと、
「えい」
 腕に抱きついてきた。さっきの棗と同じ状況に陥ってしまう。かといって同じように焦
ってたりはしないが。
「どうじゃ? 少しは嬉しいかろ」
「いや、別に」
「ほむ。やはり胸が足りぬか。まあ、それは仕方あるまい。じゃがいずれ妾の胸とて姉上
より大きくなる。約束するぞ」
「へいへい。期待しないで待ってるよ」
 そう返事してから俺は棗を見た。
―― まだ放心してやがんのか。
 やれやれとため息をもらしてから棗の頬を軽く叩く。
「おい。いい加減目を覚ませよ。お〜い、ご在宅ですか〜? お客さん終点だよ〜」
 反応なし。
「縦縦横横ま〜るかいてちょん」
 両頬を摘んで縦、横、回転とこねくり回してみる。
「………」
 これにも反応なし。さて、どうしたもんか。
―― 放心したヤツを正気に戻すくらいのショックか……。
 何かないかと周囲を見渡して良い物を見つけた。
「あれを試してみるか」
 丁度良く観覧車は1周を終える所だった。
「よし」
 放心している棗を抱き上げる。
「何をするつもりじゃ?」
「こいつの目を覚ますんだよ。色々と訊きたいことがあるからな」
「妾も行こう」
「却下。お前は来るな」
「何故じゃ! 妾はお主の決縁者。彩樹の行くところへはどこへでも共に行くぞ」
 そう言って着物の裾を掴む恵を見て、俺は小さくため息をもらし、
「あ」
 窓の外を指差した。
「何じゃ?」
 それにつられて恵が窓の外に顔を向ける。
―― チャ〜ンス。
 観覧車から飛び降りて扉を閉める。そして、鍵も。
「あ !彩樹! 卑怯じゃぞぉぉぉぉ〜〜〜」
 ドップラー効果よろしく恵の声は小さくなっていった。これで余計な邪魔をされずに話
を聞くことができる。
「んじゃ、行くか」
 本当は行きたくなかったが、こいつの目を覚まさせて話しを訊くためだ。俺は観覧車乗
り場から出て、もっとも苦手な乗り物の元へと向かった。

 信じられなかった。信じたくなかった。
 飛び降りてきた恵の手を彩樹が触れてしまったことなんて……。
―― 恵が彩樹の決縁者になってしまったことなんて信じたくない。
 彩樹は私の、私だけのもの。他の誰のものでもない。
 けど。
 そうではなくなってしまった。もしかしたら彩樹は恵のモノになってしまうかもしれな
い。もしそんなことになったら……。
 そんななななななななな……。
 急に体が重くなった。重くなっただけじゃない。何かに縛り付けられたような、押しつ
ぶされるような感じだった。
「な、何が」
 首を巡らせて状況を把握する。
 回っていた。景色が勢いよく回っていた。違う。廻っていたのは自分の方だった。
「こ、コーヒーカップ?」
 視線を下に向けてようやく私は自分の置かれている状況を認識した。
「お。ようやくお目覚めかよ」
「な、なぜこのような所に。確か観覧車で……恵が……恵は?」
「あ? 観覧車に置いてきた」
 けらけら笑って彩樹は言う。
「そう。……そろそろ回すのをやめなさい。気分が悪くなってきます」
「ああ。それは俺も同じだ」
 徐々に回転が収まってくる。同時に体にかかっていた重みがなくなっていった。
「はぁ〜。きも〜。も〜ほんと〜に今後一切コーヒーカップには乗らねえ」
 ぐったりと彩樹は項垂れる。顔色は真っ青になっていた。
「なら乗らなければ良いのに」
「うるせえな。お前がいつまでたっても呆けてっから目を覚まさせる為に乗ったんだよ。
ジェットコースターとも考えたが、あれじゃ終わるまで話し聞けねえしな」
「話?」
「恵から訊いたよ。決縁者の意味」
 それを聞いて胸が大きく高鳴った。
「どういうことか納得のいく説明をしてくれんだろうな?」
「それは……」
 言いづらかった。
 自分に釣り合う存在になってほしいと思って色々辛い目にあわせておきながら『愛して
いる』なんて信じてもらえるはずもない。
―― けれど、それで良いのだろうか。
 今朝までの自分ならそれでも大丈夫だと思っただろう。
 でも、今は違う。恵が彩樹の決縁者になってしまった。私の絶対的有利はなくなった。
彩樹が私の元からいなくなってしまうかもしれない。その可能性ができた。
 そう思うと胸が締めつけられた。
「まったくお前が何を考えてるかわからねえよ。婚約だぞ? 会って2ヶ月かそこいらの
ヤツとするか普通。好きでも何でもねえ――」
「違います」
「あ?」
「私は貴方を――」
 『愛しています』……そう言おうとした所で、
「あ〜〜や〜〜きぃ〜〜〜〜!!!」
 空からパラシュートを付けた恵が降ってきた。
「とう!」
 そして空中でパラシュートを切り離し、そのまま彩樹の隣に着地する。
「掴まえたぞ。妾から逃げようなど10年早い」
「いや、そりゃある意味こっちの台詞だぞ」
「ほむ。それもそうじゃのう。こりゃ一本取られたぞ」
 笑い合う二人。私は蚊帳の外。とても不愉快だった。
「帰ります!」
 彩樹の腕を掴んで未だに稼働しているコーヒーカップから降りる。不思議と恵は後を追
ってこなかった。
「お、おい。どうしたんだよ」
 私の気持ちなど知らない彩樹は首を傾げるのみ。
―― 少しでも早く邸に戻りたい。
 あそこは私と彩樹だけの場所だ。恵の邪魔も入らず、彩樹は私だけを見てくれる。なら
ば一刻も早く戻るために足早に出入り口へ向かった。
「お帰りなさいませ」
 遊園地の前に停めてあったリムジンからルクセインが出てくる。
「邸へ戻ります。1分でも1秒でも早く」
「かしこまりました。どうぞ中へ」
 座席の扉が開かれる。先に彩樹を乗せてからふと遊園地を振り返り、そこで銃声や刃の
ぶつかる音が聞こえない事に気づいた。
「玲子達はどうしました」
「先に邸に戻るとのことです。さすがに負傷者が出たようですので。あちらも同様のよう
で煙幕を張ると同時にここより逃走した模様です」
「そう。わかりました、玲子達にはきちんと治療をするようにと伝えてちょうだい」
 その言葉にルクセインが頷くのを確認してから私は車に乗り込んだ。
 程なくしてリムジンは静かに発進した。
 先ほどの事が気になっているのか彩樹はじっと何かを探るような顔で私を見ている。恵
に邪魔されて聞けなかった私の言葉を知りたがっているのはすぐにわかった。
―― もう隠していたくない。邸に戻ったら彩樹に伝えよう。
 今まで胸の内に秘めていた自分の想いを。

 本当に彩樹を手に入れるために。

次回を楽しみになさい。

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