第四十話「今はただこうしていたい」

 ゆっくりと通過していく丸い鉄製の個室。
 否。
 それは遊園地にはなくてはならない乗り物――観覧車だ。
―― この中なら余計な邪魔も入らないだろうから落ち着いて話しが聞けるだろ。
 タイミングを見計らってその中に入ると、
「ほら、座れよ」
 抱きかかえていた棗を席に座らせた。
「おっと。鍵はちゃんと閉めないとな」
 扉を閉めてから内側の鍵をかける。どうやらこの観覧車は外と内から鍵をかける仕組み
らしい。
「さて、聞かせてもらおうか。何であんなことになった?」
 向かいに座って問いかける。
「私と恵の話を聞いていたのでしょう? ならわかるはずです」
「そんなのお前らをどう止めようか悩んでて頭からすっぽ抜けてるよ。いいから教えろ」
「言いたくありません。そもそも私に命令なんて……」
「あのな〜! 俺は怒ってんだよ! 妹に向かって実弾撃ちやがって!」
 少し強めに窓ガラスを叩く。本気で許せなかった。一歩間違っていれば恵は死んでいた
かもしれないのだ。
「何か言えよ!」
「わ……くなかった……の」
 俯いたまま棗が蚊の鳴くような声で呟く。
「あ?」
「そうしてでも渡したくはなかったの! わかりなさい!」
 顔を上げたと思ったら大声で叫ばれる。驚いて俺は後頭部を強かに打ってしまった。
「あいてててて。いったい何を渡したくなかったってんだよ?」
 そんなものがあるのか甚だ疑問に思った。
「わからないというの? 本当に?」
 棗はじっと拗ねたような顔で見返してきた。
―― な、何だよその顔は。
 不覚にも少し可愛いと思ってしまった。
―― いかんいかんいか〜ん!
 首を左右に振って正気に戻る。
「わからないから訊いてるんだよ! さっさと言え!」
「……やっぱり言いません。こんなムードもない状況で言うなんて」
「は?」
 ムード? 争いの原因を言うのにムードが必要?
―― なんじゃそりゃ?
 ますます訳がわからなくなった。
「けれど、そうね……言葉では嫌だけれど……」
 そう言うと、立ち上がって棗は隣に腰掛けてきた。
「お、おい。何だよ」
 もしやいきなり銃でもぶっぱなすのか。そう思っていたら、ゆっくり体を預けてきた。
俺の肩が丁度棗の頭を支える。
「はぐぁ!」
 さらに棗の腕が絡んで来て柔らかい感触と体温を伝えてきた。
―― な、ななななななな。何が起こってるんだ!?
 頭がパニックに陥ってしまう。
「な、何してんだよ!」
「黙って」
 唇に指を押し当てられた。
「少しこのままで。今はただこうしていたいの。こうしているだけで……心が落ち着くか
ら。お願い」
「……落ち着いたら恵と話し合うか?」
「考えてあげます」
「ふぅ。わかったよ」
 争う理由がきけないことに不満ありありだが、後で訊けばいいだろうと納得して俺は棗
のしたいようにさせることにした。
 しか〜し。
―― こっちは滅茶苦茶落ち着かない。
 押しつけられる柔らかいアレの感触。いつになく異性を感じさせる行動。心臓が加速度
的に鼓動をはやめていく。
―― 思えばあのんや"あいつ"以外にこんな接近されたことないからな〜。
 横目で棗を見る。何とも安心しきった顔をしていた。
―― 可愛いかもしれん……って、また俺は何てことを考えた!
 軽く2,3発頭を小突く。だが、よくよく考えてみれば棗は美少女と言える顔立ちをし
ている。男なら誰だってお近づきになりたいと思うことだろう。
 そんなヤツが自分に身を預けている。
 何だか少し優越感というか嬉しさがこみ上げてきた。
―― って、ああ〜いかんいかん。顔が良くたって性格があれだぞ、アレ。
 血迷うなと心の中で言い聞かせる。
―― はやく1周しろ〜。そうすりゃこの状況も終わる〜。
 そう思うが観覧車はようやく最長部にきたところで1周するにはまだまだかかりそうだ
った。
「ねえ、彩樹」
 不意に棗が口を開いた。
「あ?」
「恵の手に触れましたか?」
「どういう意味だ?」
「聞かせて」
「触っちゃいないよ。これで満足か?」
「ええ。……よかった」
 そう呟くと棗が手を握ってきた。
―― い、いったい何だっていうんだ。
 いつになくしおらしい棗にただ俺は困惑するしかなかった。
「はぁ〜」
 とりあえず窓の向こうに広がる景色を見て気を紛らわせることにした。
 と、いきなりけたたましいローター音を発しながらヘリコプターが下から姿を現す。
―― な、何で。
 こんな近くに来るまでプロペラ音が聞こえなかったのだろうか。
「スティルネス搭載型ね」
 俺から離れて棗がヘリを睨み上げる。
「なんじゃそりゃ?」
「簡単に言えばローター音を自由に消去できるヘリです。いったい誰が」
 その答えはすぐにわかった。
「姉上!」
 側面の扉を全開にして恵がヘリの中に立っていた。ローターが巻き起こしている激しい
風が恵の着物や髪をなびかせている。
「この勝負は妾の勝ちですじゃ! 彩樹は妾がいただきますぞ!」
「どうやろうというの! そこからでは彩樹に手出しはできませんよ!」
「ふっ。こうするのですじゃ!」
 さらにヘリが上昇していく。
 そして、
「なっ……!」
 あろうことか恵はパラシュートもなしにこちらへ向かってヘリから飛び降りやがった。
慌てて鍵を外して扉を蹴り開ける。
 腕を伸ばした恵がぐんぐん近づいてきていた。
「こんの……届けぇ〜〜〜!!!」
 その手に向かって俺も手を伸ばす。
―― 絶対に掴む!
 交差まであと数メートル。
「やめて!」
 中に引き戻そうというのか棗が後ろから羽交い締めにしてくる。
「離せ!」
 棗を突き飛ばす。
「恵、俺の手を掴め!」
 もう届く距離にあった。

 伸ばされたその小さな手を……。

 身を乗り出した彩樹が恵に向かって手を伸ばしている。落下してきている恵もまた手を
伸ばしていた。
「い、いや……」
 このままでは恵が……。けれども突き飛ばされて尻餅をついていた私にはどうすること
もできなくて。

 彩樹と恵がついに……手を……繋いでしまった。

 恵もまた彩樹の決縁者になってしまったのだ。

勝利なのじゃ!

←前へ  目次へ  次へ→