第二十八話「それぞれの告白−後編−」

 眠れない。
 縁は大丈夫だろうか。熱は夜に上がることが多いから心配だった。
―― レア君がいるから大丈夫だろうけど。急に熱が上がって苦しんでるじゃ……。
 近くにいないと余計な考えが浮かんで心配になってしまう。
「眠れないの?」
 声を聞いてアタシは床に敷いた布団で眠るなっちゃんを見た。
「うん。縁の事が心配になっちゃってさ」
「……少し質問してもよろしいかしら?」
「え、いきなりだね。けど、いいよ。何が知りたいの?」
「縁さんのことです」
 どくん、と心臓が一度大きく鼓動した。
「え、縁のこと? あ、そうか。レア君を縁みたいに可愛くしたいんだな〜。やっぱなっ
ちゃんも可愛いもの好きか。だから可愛いくさせる秘訣とかを――」
 口が話題をかえようと勝手に言葉を紡いでいく。
「落ち着きなさい」
「あう。……それで、その、縁がなに?」
「私、貴女と縁さん……互いが互いを想いながら一歩先の関係にどうしてならないのか
常々思っていたの。いつもはあんなにベタベタして仲がよいのに……」
 痛い。もっとも痛い所をつつかれた。アタシがいつも考え、否定していたことだ。
「それは……」
「仰らなくても結構。失礼だと思いましたが調べさせてもらいました」
「はっ。さっすが法光院ってことかな」
 皮肉と怒りを混じらせた声でアタシは言う。
 なっちゃんの強引さは良いところでもあるが、こういうことだけはしてほしくなかった。
「お怒りにならないで……と言っても無理ね。私は蘭さんの大切なものに土足で踏み入っ
たのだから。けれど、後悔はしていない。もしこれで蘭さんに嫌われたとしても……私は
貴女に言いたいことがあるの」
 立ち上がってなっちゃんは明かりをつけた。急激な明暗の差に目をアタシは細める。
「どうして一歩を踏み出さないの?」
「それは……縁の……」
 重荷にはなりたくないからという言葉を飲み込む。
「言い訳はよしなさい。貴女は怖いのよ。もしその想いを告げて拒否されたら心が壊れて
しまうから……だから逃げているの。どうです?」
 その通りだった。
 縁の事だ、拒否したらアタシの前からいなくなるだろう。そうなったら絶対にアタシの
心は壊れてしまう。生きる意味を失ってしまう。人形のように何も考えずに生きるか、生
きる事すら辛くなって死ぬに違いない。
 なっちゃんの言っていることは正しい。
―― でも!
「なっちゃんに何がわかるっての! 好きな人に避けられた苦しさを味わったことがあ
る?! あの苦しくて、悲しくて、辛い思いを経験したことがあるの!」
 もう止まらなかった。口からどんどん今までため込んでいた物が吐き出されていく。
「死にたくなるんだよ! 消えてしまいたくなったよ! そんな痛みを、苦しみを味わっ
たこともないのに偉そうなこと言わないで!」
 叫んだらまた思い出してしまった。
 縁が傷を見て辛そうな顔をしてから逃げ出した時のことを……。気にしていなかったの
に、むしろ誇りに思っていたのに。
―― どうして逃げるの。逃げないでほしい。側にいてほしいのに。
 近くで笑っていてほしい。
―― お願い! アタシから離れないで!
 あの日の事を思い出したら涙が止めようもなく零れた。
「きっと縁はアタシを受け入れてくれない。この傷を見るたびに苦しむあの子を見てれば
わかりきったことじゃない。だからアタシは逃げるの! 今のままならまだ縁はアタシを
受け入れてくれるから!」
 今まで溜め込んでいた想いを告げて離れられるくらいなら、今のままでいい。縁と一緒
に居られるならこの想いは胸の中にしまっておくんだ。
「今のアタシには縁と一緒にいることが重要なんだから!」
 一通り叫び終わったからか心が徐々に静まりかえっていく。
「気が済んだかしら?」
 あれだけの言葉を浴びせてもなっちゃんは顔色ひとつ変えずに問いかけてくる。その妙
に落ち着いた雰囲気に釣られてか、言いたいことを叫んだからか荒れ狂っていた心が落ち
着いていた。
「……ちょっとは」
「なら、私の話を聞いていただけるかしら」
「話?」
「そう。蘭さんだけが秘密を吐露するのは不公平でしょう? だから私の秘密をひとつ教
えてあげます」
 いったいなっちゃんの秘密とはなんだろうか。
 彼女は世界を動かす法光院の人間。様々な秘密がありそうだと思っていたけど…。
―― 何を聞かせてもらえるのかね〜。
 笑える秘密なら大爆笑してやると思った。
「今日、なぜここに訪れたかわかります?」
「レア君が無断で家に来たから。それとレア君お手製のカレーを食べるため」
「正解。でも、それだけではないの」
「アタシと二人きりじゃ彼が狼になるかもしれなくて心配だった……違う?」
「そうね。それもある意味含んでいると言えます」
 何だかナゾナゾをしている気分になってきた。
「勿体ぶらずに聞かせてくれたっていいじゃない」
「ふふっ。ごめんなさい。今、ここに私がいる理由はただひとつ……彩樹の側にいるため」
 そう言ったなっちゃんはとても恋する乙女の顔をしていた。
「なんだ、やっぱなっちゃんはレア君の事が好きなんじゃない」
「いいえ」
 即座に首を振ってなっちゃんは否定する。
「好きじゃないのに側にいたいって……わっかんないな〜」
 アタシが眉根を寄せると、
「話は最後まで聞くものですよ」
「へいへい。で、好きじゃないのにどうして側にいたいの」
「彩樹を愛しているから」
「へっ?」
 愛してる。アイシテル。すぐにはその言葉を理解できなかった。
―― なっちゃんが……レア君を……?
 愛している。
―― し、信じらんない
 いつもレア君にあれやこれや無理難題を押しつけているのを見てたら想像すらできない
発言だ。驚きのあまり笑ってやろうにも笑えなかった。
「驚きました?」
「そりゃあ、ね。そんな素振りひとつもみせ……たか」
 別荘地でレア君が毒を打たれたとき。
 食事も睡眠もとらずに看病をし続けたなっちゃん……。
―― あれが縁だったら同じ行動するな〜としか思ってなかったから真意がわからなかっ
たのか。
 けど、
「レア君を買ったのってつい2ヶ月ぐらい前じゃなかったっけ? 一目惚れってやつ?」
「違います。彩樹のことはもう12年前から知ってました」
「12年っていうと……幼稚園?」
「ええ。12年前のあの日、彩樹が私のケツエンシャになってからずっと……」
 12年前を思い出すようになっちゃんは目を閉じた。
―― 何だか乙女って感じで可愛いね〜。
 そう思うと共に気になったことがあった。
「ケツエンシャってなに?」
「決められた縁にある者、または決められた縁者で決縁者。彩樹と私はいずれ必ず結ばれ
る縁にあるの」
「普通なら縁で結ばれた者とか、結ばれた縁にある者で結縁者じゃない?」
「結ばれた縁なんて弱いものよ。結び目はいつ解けるかも知れないですし。けど、私と彩
樹の縁はそのような弱いものではありません。ですから決縁者なのです。けれども今はま
だ私の相手としては不十分。だから――」
「色々と命令してレア君を育ててると」
 なっちゃんは小さく頷いた。
 足りなければ自らで補おうとするとは何ともなっちゃんらしい考えだった。
―― 確かレア君を初めて連れてきたときに言ってたっけ。
 真っ白なものを自分色に染めたいって。
 つまり、なっちゃんはレア君を自分好みの、相応しい相手に自ら育てあげる為に彼を買
ったんだ。
「何だか……凄いな」
 その行動力と一途な想いが。思い続ける力が。
「そうかしら。私は蘭さんの方が凄いと思います。縁さんを守るために綺麗な顔に傷を作
り、それを見られて辛い想いをしても未だに彼を想っている……その強さが」
「そう、かな……」
「ええ」
「そっか。でも、やっぱりなっちゃんには負けるよ」
「そうかしら?」
「そうなの」
 互いに言い合ったあと数秒ほど見つめ合って、
「ははははははははっ」
「ふふふふふふっ」
 それから少しばかりアタシ達は笑いあった。
「しっかし、すっごい秘密を聞かせてもらっちゃったな〜」
「彩樹にはもちろん誰にも、縁さんにも明かしてはいけませんよ」
「はいはい。アタシだって命が惜しいから喋ったりしないって」
 喋った次の瞬間には暗殺者が現れそうだし、と心の中で付け加える。
「さて、もう一度話を戻します。蘭さん、縁さんとの関係に一歩踏み出すことはしないの
ですか?」
「……踏み出せるものなら踏み出したいよ。けど、縁がアタシの傷を認めてくれたらね」
 きっとそんなのは無理だと思いながらアタシは言う。
「……そう。わかりました」
 実にあっさりとなっちゃんは引き下がった。そしてもう話すことはないとばかりに明か
りが消される。
「おやすみなさい」
「え、あ、うん。おやすみ」
 もっと強引に説得すると思っていたアタシは拍子抜けしてしまった。と、張りつめてい
たのが緩んだからだろうか眠気が襲ってきた。
「ふぁ〜っ」
 眠い。寝よう。縁のことは時間が解決するまで待つしかないんだ。だから寝よう。少し
でもその時間が短くなるように……。

 そして、夜が明けた。

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