第二十七話「それぞれの告白−前編−」

 家事といってもやることはほとんどなかった。
 部屋は綺麗で掃除する場所がなく、洗濯も蘭に拒否されたので俺がすることといったら
食事を作ることだった。夕食は残っていた材料で簡単な物を作り、後はボーっとテレビを
見て過ごした。
 内容は恋愛ドラマ。
 お互い好きなのに後一歩が踏み出せず、互いに別々の男女と付き合い始める。だが時間
が経つにつれて二人は違和感を感じ始た。
 何かが違う、と。
 けれども相手の人物からの好意は嬉しく、また惹かれていたので気付かないフリをした。
それが二人の距離を加速度的に広げていく。
 いつしか顔を合わせることもなくなってしまう。
 だが皮肉にも、離れたことによって互いは奥底にあった想いに気付くこととなった。そ
して今日で最終回。久しぶりにあった二人が奥底にあった想いを告げる、という話だった。
 まったくもって王道な話だ。
「馬鹿な人達ね」
 不意にテレビを見ていた棗が呟く。
「自分の想いに嘘をついて……。好きなら好きとハッキリ言えばいい、嫌いならハッキリ
嫌いと言えばいい……そうは思わない?」
「そりゃ誰に対して言ってるんだ。少なくとも俺に対しては聞こえなかったぞ」
 最後の同意は確かに俺に求めたものだろう。だがその前の事に関しては違う。
 蘭と縁。
 二人に向かって言ったに違いない。
 結局、ドラマの主人公とヒロインは互いの想いを告白するも付き合うことはなく、今ま
で付き合ってきた相手と同じ時を過ごすことを決めた。
「もう寝ます」
 ドラマ終了と共に宣言し、棗は部屋を出ていった。
 棗のさっきの言葉。
 ドラマと同じようにはなってほしくはないと棗は言いたかったのだろうか。
 エンディング曲が終わり、提供のあと……『終わり』という文字と一緒にこんな言葉が
放送された。
『想いは素直に』
 と。

 夜。
 俺は縁と同じ蘭の部屋で眠ることとなった。蘭と棗は隣の空き部屋で眠っている。縁と
蘭、俺と棗という案もあったのだが、
「このような狭い部屋で一緒に寝るなんて彩樹に襲ってくれと言っているようなものね」
「そりゃそっか」
 という棗と蘭の会話、俺の提案によって男と女で別れて眠ることになったわけだ。こっ
ちとしては好都合な展開だった。
「おい、起きてるか?」
 寝ている縁に呼びかける。
「何か用ですか?」
「聞きたいことがある。前にも聞いたことのある質問だ。とにかく素直に、嘘を吐かずに
答えてくれ」
「うん」
 頷くのを見て、俺は一度深呼吸してから質問した。
「お前はあのお嬢様の事が好きか?主としてじゃない、ひとりの女として」
 少しの間のあと、
「この前と同じ。お嬢様は好きだけど、それは――」
「好きなんだな?」
 予想していた答えを全部言わせる前に俺は再度聞く。
「嘘を吐くな。想いは素直に吐け。お前はあのお嬢様が好きなんだろ?」
「…………うん」
 蚊の鳴くような小さな声。
 決して口にしてはいけない言葉を、想いを口にすることに抵抗があったのかもしれない。
「それは、主としてじゃないな?」
「……うん」
「なら、言ってやればいいだろ。想いをぶつけてやれ」
 あいつもそれを望んでいる。
「ダメだよ。主に対して奴隷は『愛情』を芽生えさせてはならない。それが奴隷の掟。そ
れに、僕は……僕はお嬢様を想う資格なんてないよ」
「あいつの傷のことか?」
 縁の息を呑む声が聞こえた。
「見たんですか」
「偶然にな」
「……あの傷は僕を庇ってできた傷なんです」
 そう前置きをして、縁は静かに語りだす。俺は目を閉じて黙って聞くことにした。

 あれは4年前。
 僕がお嬢様に選ばれて2ヶ月したある休日のこと。天気が良いので散歩をすることにな
った。もちろん僕も一緒だ。
「ね、縁はどこにいきたい?」
 僕はお嬢様と一緒ならどこでも良かった。お嬢様といるだけで心が満たされるのだから。
 不出来な僕を選んでくださったお嬢様。僕に優しい大切なお嬢様。お嬢様の為なら僕は
何だってしてあげたいと思う。
 でも、僕はその大切なお嬢様を守ることができなかった。
 誘拐。
 資産家であるお嬢様を狙って数人の男達が襲ってきたんだ。
「やだ! 縁! 助けて縁!」
 不意打ちだった。
 殴られた僕は動けず、泣いて助けを呼ばれているのに助けることができなくて、お嬢様
は誘拐されてしまった。
 帰ってお嬢様のご両親に報告。
 役立たずの僕は何度も殴られ。蹴られ、踏みつけられた。
 『役立たず』・『無能』・『死ね』・『ゴミ』……様々な罵詈雑言も浴びせられた。
 でも、お嬢様が連れ去られたことに比べればちっとも辛くなかった。

「それから警察が呼ばれてお嬢様の捜索が始まったんだ」

 けど、お嬢様は一向に見つからなかった。
 もちろん警察に任せるだけで何もしなかったわけじゃない。近所の人達から情報を集め
ながら遅くまで探し、見つからずに帰って後は何も食べずにただお嬢様の無事を祈った。
 お嬢様が助かるのなら僕の命をあげます。だからお嬢様を助けて、と。

 そして、お嬢様が誘拐された3日後……。

 犯人から電話があった。
 2億円を用意してお前の所の奴隷――つまり僕――に指定の場所へ持って来させろ、と。
もしこれが守られなければお嬢様は殺す、と。
 ご両親は2億円を用意し、僕はそのお金の運搬係をすることになった。
 指定場所は使われていない廃工場。誘拐犯が隠れるには格好の場所だと思った。
 そして、指定通りに僕は歩いてそこに訪れた。
 後から刑事さんがやってきて踏み込むことになっている。だから僕がすることは命がけ
でお嬢様を逃がすこと。それができれば僕の勝ちだ。
「へぇ。本当に持ってきたよ。さっすが儲かってるだけあるな」
 誘拐犯のひとりが僕を見て笑った。
「さあ、お嬢様を離してください」
「おい」
 縄で縛られていたお嬢様が解放された。
「縁!」
「お嬢様、ご無事で何よりです」
 震えるお嬢様を安心させるためにそっと頭を撫でる。
―― あとはお嬢様を逃がすだけだ。
 落ち着いて逃走経路を探す。
 廃工場なので所々に穴があり、子供の僕たちが逃げるに十分な穴はいくつもあった。
 けど、
「さて、金も手に入ったことだし……サツが来る前に始末してとんずらするか」
 向けられる濃厚な殺気。4人の男達が僕たちを囲む。手にはナイフがあった。1対4で
は不利だ。このままじゃお嬢様を逃がせない。
「約束が違う、なんて言うなよ。約束ってのは破るためにある、よく言ってる奴がいるだ
ろ。とにかく……死ね」
 4人が同時に襲ってくる。
 幸いな事に動きを見たところ全員素人だった。
―― 素人なら4人でもいけるはず!
 僕はお嬢様を4人の包囲の外へ突き飛ばし、近くの男に向かって駆けた。
「お嬢様を誘拐したこと……後悔してください」
 一気に相手の懐に飛び込み渾身の拳を叩き込む。養成校で習った格闘術は十分通用した。
一人目を倒すと二人目、三人目、そして四人目を速やかに昏倒させる。
 何とも楽チンだった。
 怯えているお嬢様に歩み寄る。
「お嬢様、もう大丈夫です。悪い奴はみんな――」
 笑顔を見せる。もう大丈夫なんだと。怖がらなくてもいいんですよ、と。
 だけど、
「縁、危ない!」
 まだ終わってなかったんだ。
 駆け寄ってくるお嬢様。背後から感じた殺気。
 慌てて振り返った僕の視界に入ったのは、ナイフを振り下ろしていた男の憎しみに満ち
た顔だった。
―― 避けられない!
 両腕で顔をガードしながら目を閉じた次の瞬間、
「きゃぁぁぁぁぁぁあ!!!!」
 耳に届いたお嬢様の悲鳴。いったい何が起きたのかわからなかった。
―― どうしてお嬢様が悲鳴を?
 恐る恐る目を開くと、お嬢様が前にいてお顔を押さえていた。
「あ、ああ……」
 そして、僕は見てしまった。
 顔を押さえるお嬢様の手から零れ落ちる鮮血。守らなければいけないはずのお嬢様の、
そのお顔から流れる血が意味することは……。
―― この男がっ!
 状況を理解したとたん、僕の中で何かが壊れ、爆発した。

「次に気付いた時は病院だった。隣にはお嬢様がいてそのお顔には……」
 過去を話し終えた縁が嗚咽をもらしはじめる。
「だから?」
「だから? わかるでしょ? 僕はお嬢様に消すことのできない傷を作っちゃったんだ!
守るはずの僕が守られて……こんな役立たずの僕がお嬢様を想う資格なんてないんだ!」
「……お前はあのお嬢様が顔の傷をどう思っているか知っているか?」
「わからない。でもきっと、あの傷を見るたびにお嬢様は僕を恨んでいるはずだよ」
 俺は問答無用で寝ている縁の頬を殴り飛ばした。
「とりあえずお前の馬鹿さ加減にムカついたから殴った。いいか、耳の穴かっぽじってよ
く聞けよ。あいつはあの傷がお前との絆だと、お前に対する想いそのものだって言ってい
た。この言葉の意味がわかるか?」
「……」
「そもそも、恨んでる相手に対してあの心底信頼してる笑顔は見せないだろうが」
「でも、でも僕は……僕には……」
 それ以上はダメだった。蘭が絆だと、想いの証だと言ったあの顔の傷。それが縁にとっ
て強烈なトラウマに残っている。
 今回はそこまで知ることが限界だった。
―― 何かきっかけさえあれば、な。
 昔、あいつらをくっつけたように。少し前、まだ俺が棗と出会う前……暢気に高校生活
を過ごしていた頃を思い出し、
―― 今頃あいつら何してっかな〜
 と、少し感傷に浸った。

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