第二十六話「登場、そして命令」

 冷蔵庫にはそれほど材料は入っていなかった。どうやら余分な物は買っていないらしい。
「えっと、じゃがいも、にんじん、豚肉、カレールー……これなら作れるな」
 次に鍋を探す。
「なんともお子さまな感じだな」
 戸棚を見て俺は苦笑する。戸棚にはどこに何があるか水色・黄緑・黄色・白と色とりど
りのラベルテープが貼ってわかるようになっていた。
 自分以外が料理することを考えての縁の配慮だろう。
―― いや、あいつのことだから蘭の事を考えて、か。
 おかげで鍋は簡単に探し出すことができた。
「んじゃ、始めるか」
 上着を脱いで俺は料理を開始した。

 中略。

 で、ルーを入れ終わって後は煮込むだけとなった所で背後で物音が聞こえた。
「あ〜カレーも粥もまだ出来てねぇんだ。すぐ作っから上で……」
 振り返った俺は凍り付いた。
―― な、何でこいつが。
 スプーン片手に座っているのだろうか。
「何をしているの? 早く食事の用意をなさい」
 そう言ったのは"ここにいるはずがない"棗だった。
 見間違いではないかと一度目をこすってから頭を叩いてみる。
「……幻覚じゃねえのか」
「この神すら平伏す美貌を目の当たりにして幻覚と思うのはどの頭?」
 ぱちん、と棗が指を鳴らした――刹那、
「デッドorアライブ。どちらかお選びくださいませ」
 瞬間移動の如く現れたメイド女・玲子が銃口をこめかみに押しつけてきた。
―― お前もいつからいたんだよ。
 風邪でもないのに頭が痛くなってきた。
「アライブで」
 ため息と共に俺は答える。
「ならはやく私に食事を」
「へいへい。もう少しで出来るから待ってろよ」
 棗に背を向けて調理を続けながら考える。
―― こいつは何しにきたんだ? 飯を食うためか? いや、それなら何で俺がここにい
て飯を作っていることを知ってるんだ?
 はなはだ疑問だ。
 と、
「騒がしいと思ったらもう来てたんだ」
 俺達の声を聞きつけて2階から蘭が降りてきた。
「お前は知ってたのか!?」
「さっき電話があったから。けど、こんなにもはやいなんて思ってもみなかった。まだ電
話から5分だよ?」
「食事はできたてをいただくものです。故にルクセインに車をとばさせました」
 嘘だ。絶対に嘘だ。きっと近くまで来ていたに違いない。
―― まったくわからねえな。
 いつも一流シェフの料理を口にしてるってのに、こんなしょうもないカレーを食うなん
て。ふと悪戯心が頭をもたげてくる。
 調味料の中にあったタバスコの瓶を手にしようとするも、、
「タバスコを入れようなどとは思いませぬよう」
 玲子がいる時点でそれは無理だった。
 程なくして出来上がったカレーを皿に盛りつけて二人に出す。
「え、アタシは別にいいよ」
「看病するにも体力は必要だろ。食っておけよ。その間に粥も作っておく」
 何かを言う前に俺は粥を作る準備を始めた。
「あ、美味しい。やるじゃんレア君。ね、なっちゃんもそう思うよね?」
 一口食べた蘭が棗を見た。
「60点」
「なっちゃんは辛口だな〜。ん〜でも、やっぱ縁のカレーに比べたら負けるね」
 それは愛情という名のスパイスが縁のカレーには入っているからだ。
―― あいつ自身はそうは思っていない。いや、そう思わないようにしているが。
 そして、
「う〜ん、やっぱ縁のよりは負けてる。でもま、70点ってところかな」
 こいつも何か境界線のようなものを引いている。
 好きだと言っておきながら何かをためらっているか。縁にはベタベタ接しながらもそれ
は家族に対するようなもので、それ以上の関係になるのを避けているような、そんな感じ
だった。
「ん? 何か用?」
「いや。もうすぐできる。そしたら縁に持っていってやれ」
「サンキュ。このお礼はいつか返すから」
「別にいらねえよ。ほら、完成だ」
 出来た粥を器によそってテーブルに置くと、
「んじゃ、縁に食べさせてくる。やっぱあ〜んえい〜でもやってやろ〜♪」
 食べるのも途中で蘭は粥を持って2階へ駆け上がってしまった。
「さて、と。俺も……」
「お待ちなさい」
 くいっとYシャツの裾が引かれる。
「ん?」
 振り返ると皿を手にした棗がいた。皿には綺麗に何もない。
「何だよ?」
 ずいっと皿が持ち上げられる。
「……もしかしておかわりか?」
「気付いたのならはやくなさい」
「60点のカレーがお好みですか」
「口答えはいいからはやくなさい」
「へいへい」
 何だかんだ言ってもお気に召してくれたらしい。少し気分がよかった。自分の分もよそ
って二人で食べる。
 暫くスプーンの音だけが部屋に響いた。
「ごちそうさま」
 カレーの付いた口の周りを純白のハンカチで拭ってから棗は両手を合わせた。
「お粗末様」
「60ポイント進呈します」
「そりゃまた太っ腹なことで。てっきりマイナスされると思ったんだが」
「正当な評価をしたまでよ。けれどそうね、世話係としての任務放棄ならびに無断外出…
…マイナス査定としては十分ね。蘭さんの話を聞くまでは十字架に磔にして銃殺刑にして
あげようかと思っていたもの」
 クスッと棗が邪悪な笑顔を見せる。
「で、結局下げるのか下げないのか?」
「縁さんの事を考慮して、次に言うことを実行すればマイナスは取り消してあげます」
 またですか。また命令ですか。
―― 今度はどんな無茶苦茶な命令なんだか。
 自然とため息が漏れた。
「で、ご命令は何ですかお嬢様」
 たっぷりの皮肉を込めて言う。
「簡単なことよ。縁さんが回復するまで貴方が彼の代わりをなさい」
 思い切りまともな事に少し俺は驚いた。
「いいですね?」
 縁には借りもあるので俺は棗の命令に従った。

 そんな訳で、俺は泊まり込みで家事をすることとなった。


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