第二十五話「蘭」

 門をくぐって玄関の前に立つ。すぐに扉が開いて蘭が顔を出した。
「あ、あれ……レア君? 何で君が……それに届け物って……」
 予想できなかったのであろう俺を見て蘭は目を丸くさせた。
「ああ。これだ」
 そんな蘭の眼前にぐったりした縁を見せる。
「え、縁?! ど、どうしたの!」
「ちょっと待ったーーっ!」
 見るからに大丈夫ではな縁を見るや慌てて抱き寄せようとする蘭を右手で制した。
「ちょっと邪魔しないで。そもそもどうして縁がこんな状態になってるの!」
「落ち着け落ち着け。それに関してはきちんと説明する。ともかくこいつは精神的にも肉
体的にも疲労の極致だ。休ませてやりたい」
「……入っていいよ」
 一歩下がって蘭は家の中へと俺を促す。それに頷いて中に入った。家の中もなんら変哲
もない一般庶民が住む造りだ。
―― 外見だけで中身に異様な金をかけてるのかもな
 さっきの電流門からしてありえないことじゃない。そんな事を思いつつ蘭の後について
いく。階段を上り、3つある部屋の一番奥にある部屋の戸を蘭は開いた。
「ここ。はやくして。はやく休ませてあげないと縁が可哀想じゃない」
「わかってるって……ぬあっ!?」
 部屋に入った俺は思わず仰け反った。
 ぬいぐるみぬいぐるみぬいぐるみぬいぐるみぬいぐるみ……可愛いぬいぐるみが所狭し
と鎮座している。 カーテンはピンク。しかもきっちりフリルつきだ。
 どっちかというと可愛いというより格好いいタイプな蘭の印象とはまったくもって真逆
の部屋模様に俺は唖然となる。
「こらこら。それはアタシに失礼だよ。って、そんなことよりも縁を寝かせて」
 蘭はこれまたピンク色のベットを指さす。素直に従って縁をその上に寝かせた。
「さ、話してくれるよね?」
「あ〜、ここじゃうるさくてこいつが休めねえだろうから部屋の外でしたいんだが」
「……それもそうか。いいよ、ついてきて」
 部屋を出て1階へ。そのまま居間に通される。
「さあ、はやく話して。どうして縁があんな風になってるの!縁 はそんじょそこいらの
ダメダメ奴隷じゃないんだ。それ相応の理由ってのを聞かせてくれるよね?」
 とたんに蘭が矢継ぎ早に質問してきた。
「おほん。いいだろう」
 軽く咳払いした後、俺は数秒で思いついた嘘を言うために口を開いた。
「実はな……学院の門を出たところで縁の奴が超ショタコンOL女・萌田少子(仮)と出
くわし、一発で気に入れられた。その萌田(仮)は言葉では言い表しようのない喜びよう
で、縁はそりゃ言葉では言い表しようのないほど驚いてやがった。で、おいかけっこ開始」
 一度息を吸い、感情を込めて話を続ける。
「少し離れていたところで見ていた俺は慌てて後を追った! このままでは縁の貞操が危
うい! そう思って全力でペダルをこいだ! だが奴らの足は速い! 縁は訓練されてる
からだろうが、萌田(仮)の足も負けていなくてなかなか追いつけなかった!」
「そ、それで……どうなったの?」
 ゴクリと蘭が息を呑む。
「うむ。ついに縁は袋小路に追いつめられた。ジリジリと縁に迫る萌田(仮)。と、そこで
ようやく俺が追いつき、背後から萌田(仮)の後頭部に蹴りをみまい、昏倒した所で縁を
奪取! 今に至ったわけだ」
 実に恐ろしい女だった、と最後に付け加える。
 話を聞き終えた蘭は目を閉じて何か考えるような仕草をして、すぐに俺を見た。
―― やっぱこんなんじゃ騙されねえかな〜
 勢いに任せて言ってみたが、喋ってる途中から自信がなくなっていた。
「……恐れたことがまた起きちゃったか」
 重いため息を漏らす蘭。
―― 信じたよ、おい
 そもそも、
「またって、前にもあったのか?」
「そ。ちょうど同じようなことが2年前にね。そんときは親切な人達が助けてくれたらし
いよ」
「ふぅ〜ん」
「だってほら、縁って可愛いじゃない? そりゃあもうお持ち帰りしたくなるくらいにさ」
 縁の顔を思い浮かべる。
 小さくて、可愛くて、愛らしさがあって、子供好きや幼い子好き、いわゆるショタコン
の趣味にクリーンヒットな要素を確かに満載している。
「だからいつも帰るときは心配してんだ。あの子って人一倍優しいから自分を狙ってる相
手でも傷つけようとしない。もしまた同じことが起きたら今度は……ってね」
「のほほ〜ん系だもんな」
「その点レア君は即殴りそうだね。『うっせんだよ、コラァ!』って感じでさ」
「大正解」
 今まで俺の拳で昏倒した奴は大勢いる。
「ははははは……あ〜〜〜あ、やっぱり一緒に帰りたいな〜。こんなんじゃ毎日気になっ
て胃が痛くなる」
 そう言って蘭は前髪を掻き上げる。
「なっ」
 視界に入った衝撃的な光景に俺は言葉を失った。
 いつもは前髪で隠れている顔の右半分。丁度その真ん中を鋭い何かで斬られたような傷
が走っていた。
「ん? 目を丸くしてどうしたの? ああ、この傷見て驚いてんの?」
 蘭が露わになった傷を静かにさすった。
「あ、ああ」
「前にちょっと、ね。かなり前だからもう痛くはないよ」
 傷はすぐに前髪によって隠れる。15,6の少女が付けるには可哀想な傷だと思った。
と、急に俺を見る蘭の目つきが鋭くなった。
「ね、いまアタシの傷を見て同情したんじゃない?」
 図星だ。思い切り図星なので俺は何も言えない。
「同情なんてやめて。この傷はアタシと縁の絆。アタシの縁に対する想いそのものなんだ。
それを醜いなんて……」
「すまん」
 俺は素直に頭を下げた。
「……よろしい。縁を助けてくれた事も考慮して許してあげるよ」
「感謝。……それにしてもあいつの事がかなり気にいってるようだな。ホの字か?」
「い、いきなり何言ってんのさ。そ、そりゃ縁は可愛いし。長い付き合いだし。弟、そう
弟みたいなものだから。ただそれだけ。それ以上でも以下でもないよ」
 嘘だな。さっき言った台詞と今の台詞は大きく矛盾している。
―― いったい何がこいつにそう言わせてるんだ。
 わからない。俺は二人の関係について、過去について何も知らない。訊いたところで答
えははぐらかされるだろう。
「……さってと、縁はどうなったか様子でも見にいこっかな」
 急に黙った事で居心地が悪くなったのか蘭は俺の横を通り過ぎて階段を上っていく。
―― 縁だってあいつのことを……って! そうだ、縁!
「しまった!」
 慌てて俺は後を追いかけた。
―― いま苦しんでる縁を見られたら嘘がおじゃんになる。
 しかし追いつくことはできず、俺が追いついたときには、
「え、縁!」
 部屋の中で蘭が悲鳴を上げていた。
 中に入ると、荒い息をする縁を蘭が抱き起こしていた。
「ご、ごめんなさい。はぁ……はぁ、お嬢様……ごめんなさい。ほ、本当に、ごめんな…
…さい……」
 苦しだろうに何度も何度も縁が「ごめんなさい」を続ける。
―― わりぃ。
 縁の望みを叶えられなかった事に俺も心の中で縁にわびた。

 結局、縁が一番望んでいなかった結果になってしまったわけだ。

 蘭が一通りの応急処置と医者に来て貰うよう電話し終えてから俺は全てを話した。
 縁の熱のこと。嘘のこと。
 それら話終えたあと、一発平手をもらった。

 その平手は今まで殴られたどんな一撃よりも重く、じんと痛んだ。

 10分後、医者がやってきて縁を診察。
『風邪ですね。ですがもう少し遅ければ手遅れになっていたかもしれません』
 縁の体温は41度にまで上がっていた。本当にもう少し遅ければ手遅れだった。
―― くそっ。こんなことなら素直に話しておけばよかった。
 心の底から後悔する。
「こら。風邪引いてるなら引いてるって言えっての。心配かけて、このこの」
 薬で落ち着いた縁の頬を蘭がつつく。
「……なあ」
「なに?」
「材料あるか?」
「何を作るっての?」
「粥とカレー」
 詫びの為に自分に出来ることがしたかった。今の俺に出来ることといったらそれしか思
いつかない。蘭は少し考える仕草をしてから頷き、
「確か縁が昨日買い置きしてあったはずだからあるよ。けど、何で急に作るなんて?」
「お前、飯作れないだろ」
 本意を隠すための嘘が図星だったらしく蘭は渋面になった。
―― やっぱそうだったか。
 縁の態度からして何でもかんでもあいつがやっていると思ったのが大当たりだったよう
だ。
「勝手にキッチン使わしてもらっていいか?」
「別にいいけど、レア君って料理できんの?」
 仕返しのつもりか半眼で蘭が見上げてきた。
「少なくともお前よりはできる。それにカレーと粥は何度も作ったことがあるんでね」
「それじゃアタシもてつだ――」
 立ち上がろうとした蘭を右手で制止し、
「邪魔になるだけだ。お前は縁の看病をしてやれ」
 そう言い捨て、俺は階段を下りた。

 部屋を出てレア君が階段を下りていく。
「あんがと、レア君」
 聞こえないとわかっていても声にして言いたかった。
―― 殴っちゃって悪いことしちゃったな。
 縁を失ったかもしれない、その原因を作ったレア君が許せなかった。でも、冷静に考え
ればレア君が病院に連れていこうとした事は簡単に想像できる。
「この頑固者。今度からちゃんと言えよ〜」
 軽く額にデコピン。小さく縁が唸った。
「でも、縁が無事でホント良かった」
 心からそう思う。
 それにしても……。
「お粥か。……本当ならアタシが作ってあげたかった気もするかな〜」
 眠っている縁の頭を優しく撫でてあげる。
―― もしアタシがお粥を作ったなんて聞いたらどんな顔するだろ。
 驚くだろうか、喜ぶだろうか、困惑するだろうか。
『こ、これをお嬢様が作ったのですか!? え? え? これを……そうですか』
 こんな感じかな。違ったとしても面白い表情を見せてくれるだろう。
―― 今度試してみよっかな。
 そう思った所で電話が鳴った。
「はいはい。えっと誰から……なっちゃん?」
 ハンディーフォンの液晶にはなっちゃん――法光院棗――と表示されていた。
―― 何の用だろ。
 とりあえず通話ボタンを押す。
「もしもし〜。なっちゃん、どしたの?」
 無回答。
「なっちゃん?」
 もう一度話しかける。
「……ウチの彩樹、お邪魔していますね」
 数秒の沈黙の後、受話器から発せられたなっちゃんの声は酷く冷たく、怒りに震えてい
た。まるで噴火前の火山を思い浮かばせる、そんな声。

―― レア君、君……殺されちゃうかも。

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