第二十三話「その感触、あまりにも甘美につき…」

「室峰彩樹……彼が私の『ケツエンシャ』です」
 俺を見て棗のヤツがそう言った。
―― 何だそりゃ? 血縁者って、俺はお前の兄妹じゃねえぞ。
 言葉の意味がわからず眉根を寄せる俺を余所に二人は話を続ける。
「ふむ。……やはりそうであったか。名を聞いてもしやと思っていたが」
「認めて……いただけますね」
「儂は一向に構わん」
「お父様、お母様も構いませんね」
「室峰……あの男の息子か。どうりで同じ空気を吸っただけで吐き気がしたはずだ」
 初めて口を開いた棗の父親は俺に向かって毒舌をみまってくれやがった。毒舌娘の親は
やはり毒舌らしい。しかもクソ親父を知ってやがるとは……。
―― 類は友を呼ぶってやつか
 そんな事を頭の隅で思いつつ、俺は真っ向から棗の父親を睨みつけ、
「そりゃこっちも同じだ。反吐がでるぜ」
 負けじと言い返してやる。
「彩樹、やめなさい。……お父様、認めていただけますね」
「勝手にするがいい」
「元よりそのつもりです。それでは今度こそ……皆様、ごきげんよう」
 優雅に一礼した棗が腕を掴んでくる。
「お、おい」
 そのまま俺は引きずられる形で部屋から連れ出された。

 そして、また車の中。
「お前らの歪んだ理由がわかったよ。金持ちだからって思ってたが……」
 豪邸の敷地を出たところで俺は口を開いた。
「親があれじゃあな。上には上がいるっていうが、まさかウチのクソ親父を超える親でな
しがいるとはよ」
「親でなし?」
「人でなし、ろくでなし系列の親バージョンだよ。親として俺が最悪だって思った奴らを
カテゴライズするために作った。俺の親父も、お前らの親ぐらい最低最悪の親でなしだ。
家に帰ってこないのは当たり前、学校行事には一度も来なくて、子供の誕生日を忘れる、
終いにゃ妻が倒れて死にそうになったのに仕事を優先して帰ってこなかった」
 言いながら俺は頭の中で思い出す。
『誕生日? あ〜そうだったのか。んで、いつだったんだ?父さんに教えてくれ』
 4歳の時、誕生日の2週間後に帰ってきたクソ親父の会話。それが親父を嫌いになるき
っかけになった。
『授業参観? そんなことに時間を使うくらいなら会議をひとつでも多く終える方が重要
なんだ。わかってくれるな?』
 7歳の時、まだ母も親父の会社で働いていた為に俺は授業参観でただひとりだけ親が来
ていない哀れな生徒となった。陰口をたたかれ、笑われ、同情された。
 悲しかった。
 許せなかった。
 何で自分だけ、どうしてこんな思いをしなけりゃいけないのか。
 その日、俺は初めて言葉で親父に向かって『お前のこと嫌いだ!』と宣言した。それか
ら3日後、母が会社を辞めて専業主婦になった。
『どうしても重要な仕事あるんだ。お前は男だ、母さんを支えてやってくれ。……母さん
を頼む』
 10歳のとき、重度の肺炎で母がICUに入れられた事を伝えたときの答えがそれだっ
た。母さんを支えてやってくれ、ただそれだけ。死ぬかもしれない。二度と生きて会えな
いのかもしれない。話しかけても、微笑みかけてもくれなくなるかもしれない。
 それなのに、クソ親父は母よりも仕事を選んだ。その日から俺は親父を他人と思うよう
になった。
「幼い頃はよく思ってたよ。金持ちじゃなくていい、平凡で家族仲良く楽しく暮らせたら
ってな。とりあえずお前んところに連れて来られるまでは父親抜きでそれを実践してたよ
……俺はな」
 肩を竦めつつ俺は棗を見る。
「そう」
 棗はただ一言そう答えた。共感したのか、同情したのか、軽蔑したのか。無表情の顔か
らはどう思ったのかは読みとれなかった。
「……あ〜それとなんだ。せっかくの誕生会を台無しにして悪かった。せいぜいその分の
ポイントをさっ引いてくれ。つっても残り100もないんだがな」
 全ポイント減を覚悟で言うも、
「ポイントは減らしません」
 棗は俺の予想とは真逆の返答をしてきた。
「いいのか?」
「ええ。初めからすぐに帰るつもりでしたし。それに少し嬉しかった。貴方の叫びは私達
姉妹の叫びでもあったわ。言いたくても言えない……心の叫び。それを貴方が代わりに叫
んでくれたおかげで少しは気分が晴れたわ。恵も多分貴方に感謝したかったのでしょう」
「呼び止めたときか?」
「ええ。あの子が一番あの人達に甘えたがっているから」
「そういうお前はどうなんだ?」
 自然と俺は問いかけていた。
―― お前もあの両親に甘えたいのか
 と。
「もう親に甘えたいと思うほど子供ではないのよ。けれど、恵や瑛には私達に与えなかっ
た分の愛情を与えてほしいと思っています。……私達のように歪んでは可哀想でしょう?」
「ノーコメント」
 正直に言うと命が危険なので苦笑しながらそう答え、俺は再び窓の外を見た。
 少しばかりの静寂。と、あの邸での出来事を思い出していて意味不明な事があった事を
思い出した。
「あ、そういや変に思ったことがあんだけどよ」
 顔をまた棗に向ける。
「言ってごらんなさい」
「ケツエンシャってなんだ?」
「ノーコメント」
 間を置かずして棗の答え。
「真似するな」
「でしたら黙秘します」
 目も口も閉じて完全防御態勢。
「あのな。滅茶苦茶気になるだろうが」
 あのとき、棗はこういった。
『室峰彩樹……彼が私のケツエンシャです』
 と。
 つまり、俺が棗の何かだってことをこいつは宣言したってことだ。
―― しかし、いったい何だと宣言したんだ? ケツエンシャって何なんだよ?
 わからない。それなら訊くしかない。
 俺に関係することなんだから聞く権利が当然あるはずだろう。
 というのに、
「これを頭に撃ち込まれて生きていたら教えてあげます。どうします?」
 クスクス笑って棗はデリンジャーの銃口を俺に向け、脅してきやがった。
―― 訊きたけりゃ命を差し出せってのかよ。それほど重要ってことか
 ますます訊きたくなったが、俺も命が大事なので諦め、ひとつため息を漏らしてまた流
れる景色を見ることにした。
「つまらないこと」
 それからすぐ棗のそんな呟きが耳に届いた。
 3度目の静寂。
 またまた俺は窓の外に顔を向けた。
 流れていく景色。いつしか法光院の敷地を抜けて市街地に出ていた。
 飲食店、電気店、レンタルビデオ店……さっきまでいた場所が嘘のように思えてくる。
―― ひとりだったら、俺は帰ってきたーーーっ!と叫んでたな
 なんて某アニメキャラを思い出していると、
「彩樹」
 棗が静かに俺を呼んだ。
「あ?」
 振り返る。俺と同じように棗は窓の外を流れる景色を見ていた。
「先ほどのポイントの件です」
「何だよ。まさかやっぱポイント全マイナスってか?」
「そうしてほしいならそうしてあげます。けれど、呼んだ理由は別のこと」
「はやく言えよ」
「急にほしいものができたの」
 窓の外を見たまま棗が言う。
 その様はガラスケースの中にある何かを欲しているように見えた。
―― しっかし、いったい何がほしくなったってんだ?
 大金持ちで何でも易々と手に入れることができる棗がほしくなった物……。
―― 思いつかね〜
 ありえそうなのが『世界』がほしいとかだが……。
「何がほしくなったんだ?」
 考えても埒がないので問いかける。
「もう少ししたら言います。それまで窓の外を見てなさい」
「はいはい」
 言われた通りに俺は窓の外を見た。
―― 窓の外にその答えがあるってのか?
 注意して見てみるがそれらしいものはなく、ますますわからなくなる。
 1分ほどして、
「いいわ。こちらを向きなさい」
「へいへ――うむっ!」
 振り返って俺は目を見開いた。
 視界全てが棗になり、唇に何やら温かくて柔らかいものが押しつけられている。
―― こ、これは!? これは〜これは〜〜これ〜〜〜〜〜〜〜
 ブツン、視界がブラックアウトした。

 再起動。
「はっ?!」
 気が付くとすでに空は夜の帳を降ろし、青白い月と星々が輝いていた。
「お、俺はいったい……」
 目を閉じた瞬間、棗の顔と唇に感じた柔らかな感触がフラッシュバックした。
―― キス……されたのか?
 恐る恐る持ち上げた右手で唇に触れ、目の前にもってくる。赤い、血ではない何かが指
に附いていた。
 それは口紅だった。
「………のおぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!何じゃこりゃ〜〜〜〜〜〜!!!!!」
 地球滅亡よりも衝撃的な事実を認識した俺は夜空に向かって叫んだ。それから3回大き
く深呼吸して心を落ち着かせる。
「い、いったい何であいつはあんな事を……はっ!? 実は俺の魅力にメロメロだった…
…はずはねえよな。……ああああああ! 訳がわからん。ケツエンシャの件も含めてもう
一度訊くしかねえ」
 顎に手を当てながら玄関のノブをひねる。
 が、廻らなかった。つまり鍵がかけられていた。
「なんでやねん!」
 叫んでからノブに短冊のようなものがぶら下がっていることに気付く。
『門限6時。守れない者は邸に立ち入ることを禁ずる』
 短冊にはそう書かれていた。
「んなばかな!おい、こら開けろ!」
 何度も扉を叩く。すると、薄く扉が開いて―――銃口が顔を出した。
「死にたくなければ騒ぎませぬよう」
 続けて玲子の酷薄な声が扉の奥から発せられた。
「だったら入れてくれ。俺は棗に訊かなきゃならねえことがあるんだ」
「ノブに門限を守れない者の立ち入りは禁ずるとあるはず。お嬢様の御意志は絶対です。
もしも強行手段で邸の中に入ろうというのであれば――」
 チャチャチャチャチャチャ。
 俺の背後から聞こえた無数の音。同時に背筋が氷るような感覚が襲ってきた。間違いなく無数の銃口が向けられてる。
「その者達が一寸の迷いもなく貴方を亡き者にします故……お気をつけを」
 ぱたん。
 銃口が引っ込んで無情にも扉は閉じた。同時に背筋が氷るような感覚も消え失せる。
 ひゅおぉ〜〜〜〜〜。
 涼しくもない一陣の風が俺の前を吹き抜けたあと、ぐぅ〜〜〜〜、と食事を催促して腹
が鳴る。思えば昼も夜も何も食べていない。
「くそ〜。俺が、俺が……俺がいったい何をしたーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
 俺は夜空に浮かぶ月に向かって不満全てをぶつけるように叫んだ。

 結局、俺は夜空の下、堅い大理石の上で眠りるハメになった。そんな俺を月は『そんな
の自分で考えろよ〜』とでもいうように照らしているのだった。

―― とほほ。

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