第二十二話「法光院家の実情」

で、残りは棗だけとなったのだが……。

静寂。沈黙。無。

 とにかく静かだった。耳に届くのは呼吸の音と振り子時計の音だけだ。
―― 家族勢揃いだってのに何だこの雰囲気は
 和気藹々、家族団らんなどどこ吹く風。まるで通夜のような雰囲気だ。誰も何も喋らず、
目線すら合わせようとしない。
「……」
 さっきまで自慢げに武勇伝を語っていた神氏すら無言。恵は両親をちらちら見、その両
親と藍は不機嫌そうに目を閉じて両腕を組んでいる。
―― 何なんだよ、この雰囲気は……。
 もっとも嫌いとする雰囲気に俺は内心苛立ってきた。
 と、
「お待たせしました。棗お嬢様のお支度ができたようです」
 扉の横で仁王立ちしていたゴリラボディーガードが予想通りの低い声で告げた。
「通せ。君は部屋の外で待つように」
「かしこまりました」
 恭しく一礼してゴリラが扉を開けると、黒のドレスを着た棗が入ってきた。
「皆様お久しぶりでございます」
 座っている面々を見ながら頭を下げる。優雅に気品漂う仕草で。ハッキリ言って綺麗だ
った。綺麗という言葉では表しきれない。
 絶世の美女、というのでもまだ足りない気がした。
―― 着るものが変わるだけでここまで変わるのか……。
 驚きと感心で俺は言葉を失った。
「ん?」
 視線に気付いたのか棗が俺を見た。なぜか視線がやけに鋭い。完全に怒っている。
―― 何か怒らせるようなことしたか?
 考えてみるが答えは見つからなかった。少しばかりこちらを睨みつけられていたが、
「しばらく会わない間にまた一段と美しくなったな」
 神氏が声をかけると鋭かった目が一瞬にして柔らかいものになった。
「ありがとうございます、お祖父様。お祖父様も素敵なお体のままですね」
「まあな。日々の精進はかかしてはおらぬ。ほれ、この通り――」
 ぐしゃ、という音を発しながら高級メロンが砕け散った。汁が神氏の腕を伝って肘から
テーブルの上にしたたり落ちる。ちなみに神氏は未だに上半身裸だ。
―― ああ、もったいねえ
 握りつぶすくらいなら俺にくれと言いたかった。きっと甘くて美味しかったに違いない
というのに……。
―― 食べ物を粗末にするなんざ許せねえ〜!
 俺はテーブルの下で気付かれぬよう拳を振るわせた。
「肉体は衰えてはおらぬ。そうだな。棗の美しさと儂の肉体……どちらが先に衰えるか勝
負でもしてみるか?」
 そんな俺の気持ちなど微塵も気付かずに神氏が不敵に笑った。
「ふふっ。負けませんよ」
「儂もだ。負けたら好きなものを何でもくれてやろう」
「その言葉、決して忘れませぬようお願いします」
「法光院神に二言はないわい。ただし、勝てれば、だぞ」
「必ず勝たせていただきます」
 不敵に笑い合う二人。数秒ほど笑い合ってから棗は未だに無言の両親に顔を向けた。
「お父様、お母様は共におかわりございませんか?」
 棗の問いに両親は何も答えない。父親が小さく頷くだけ。棗の方を見ずに、だ。半ば予
想していたのか棗は気にした様子も見せず今度は藍に顔を向ける。
「ごきげんよう、お姉様。今日は勝ちを譲っていただけてありがとうございます」
「相変わらず小憎たらしいこと。いつか核弾頭を貴女の邸に送ってあげるわ。愚民共々消
し炭にしたらさぞかし気分がいいでしょうね。ふふふ、その光景を浮かべるだけで胸が躍
ってしまうわ」
「少しでもそのような動きを見せたら、お姉様の大事な大事な信治さんを亡き者にします。
もちろん、お姉様の目の前で」
「できるものならやってみればいいわ。その時は……アンタを確実に殺す」
 睨み合う棗と藍。
 間違いなく視線がぶつかり合って火花を散らしている。もしあの視線を向けられたら普
通のヤツは確実に失禁するだろう。
 しっかし、
―― 久しぶりにあった姉妹の会話じゃねえ
 普通の上流家庭の姉妹なら、
『ごきげんよう、お姉様。相変わらずお綺麗ですね』
『ふふっ。ありがとう。棗も綺麗よ。そのドレスもよく似合ってるわ』
 とかなりそうなもんだろ。
―― さすが歪んだ姉妹の会話は異常で殺気に満々てやがるぜ
 一触即発。ピリピリと張りつめた空気が部屋にたちこめはじめる。
「実はテーブルの下で銃を握っているの。もちろん銃口は貴女に向いてるわ。今にも引き
金を引いてしまいそう」
「奇遇ですね。実は私も」
 小さく笑って棗がドレスの胸元に手を入れ、引き出す。
「お姉様を撃ちたかった」
 手には手の平サイズの銃――デリンジャーが握られていた。
「マジかよ?!」
 いきなりの戦闘開始に思わず叫んでしまう。かといって棗は引き金を引こうとするのを
やめたりはしない。
 あわや銃撃戦かと思ったが、
「お二人ともそれまで」
 可愛らしい小鳥の囀りのような恵の声が二人の指を止めさせた……のではなく、恵とゴ
ウリキが二人して矢と銃口を棗と藍に向けていた。
「恵とはひと月ぶりね。元気だった?」
 銃口を"藍"に向けながら棗は恵に顔を向けた。
「はっ、つまらない」
 恵の声に毒気を抜かれたのか、藍はテーブルの下から銃を出すと、遠くに放りなげてテ
ーブルに頬杖を突いた。
「この通り病ひとつ患ってはおりませぬ。それと先日は失礼いたしました。その詫びもか
ねて今日はお気に召していただけるプレゼントを持参いたしましたぞ」
「あら、どんなものか楽しみね」
 プレゼント。そのワンフレーズに俺は首を傾げる。
―― そういや今日は何でここに来たんだっけか?
 考えてみればここへ来る理由に関しては何も聞いていなかった。
「あ〜質問」
 気になったので右手を挙げながら俺は控えめに声を出した。と、法光院家の面々が一斉
に俺を見る。ついでにデリンジャーの銃口が俺に向いた。
「うおっ」
「驚いていないで言ってごらんなさい」
 胸元にデリンジャーをしまいつつ棗が言う。
「お、おお。今日はどんな理由でお前ら集まったんだ?」
「何じゃ、彩樹は知らんかったのかえ?」
「ああ。いきなりここに来るから附いてこいって言われただけだ。で、何かめでたい日な
のか? プレゼントとかって言ってたが」
「今日はな、棗姉の誕生日を祝う為に皆集まったのじゃよ」
「こいつの? 確かこいつの誕生日は2ヶ月も前だったような……」
 頭の中から『棗百科事典』の情報を取り出す。確か棗の誕生日は5月5日。今は7月1
0日。とっくのとうに過ぎている。
「君の言うとおりだ。しかし儂ら多忙ゆえに当日全員が集まることができなかったのでな。
誕生日を祝うならやはり家族全員が揃わねばいかん。故に集まることのできる今日となっ
たわけだ」
「なるほど」
 全て合点がいった。
 財閥の頂点3人が揃って休みを取るにはかなりの手回しが必要で、棗の誕生日当日まで
にそれが間に合わなかった。それで今日、ということなのだろう。
 だが、それなら尚更気に入らなかった。
「んで、あんたら」
 俺は未だに不機嫌な顔をしている法光院夫妻を見る。
「本当にこいつの誕生日祝ってるのか? どう見ても関係ねえ、祝うのも面倒だって顔し
てるぜ」
「およしなさい」
「いや、言わせてもらう。なあ、今日は棗を祝うためにわざわざ休みを取ったんだろ? そ
の為に仕事を余分に片づけたんだろ?! なら祝えよ! 笑顔みせてやれよ! ここまで
来ておいて娘の誕生日を祝わないお前らは親として失格だぞ! それに恵のヤツがお前ら
と話したがっているのに気付いてるのか? 久しぶりに親と会えたそいつの気持ちをわか
ってやれよ!」
 俺の叫びを聞いても棗の両親は無言。目も開けない。まるで他人事だ。
「このっ!」
 拳を握りしめる。
「お前らみたいな仕事ばかりで子供を見ようともしないヤツが、しかも知っていて無視す
るようなヤツが……俺は一番嫌いなんだよ!」
 叫び、そのまま殴りかかろうとしたが、
「おやめなさい!」
 凛とした、それでいて鋭さをもった棗の声に俺は足を止めた。
「何で止めんだ!」
「親が殴られようとしているのを黙って見逃すほど私は馬鹿ではないの」
「だ、だからってな! こいつら俺の親父よか最悪で最低なヤツだぞ!!」
「それでもいいのよ。本当に……いいの」
 静かに首を振ったあと、棗は寂しげな笑みを浮かべた。もう諦めているからいい。怒っ
たところで、殴ったところで変わらないのよ。
 顔がそう言っていた。
―― そんな顔されたら殴れなくなるだろうが。
「くそっ!」
 行き場のなくなった怒りを拳に込めてテーブルを叩く。
「お祖父様、申し訳ありませんが今日はこれで失礼させていただきます」
 小さなため息のあと、棗が神氏に向かって頭を下げた。
「そうか。……そうだな。プレゼントの方は後で邸の方に送ろう」
「ありがとうございます。彩樹、行きますよ」
「お、おお」
 釈然としないながらも俺は棗の後に続く。
「彩樹」
 そう呼んだのは恵だった。
「ん?」
 足を止めて振り返る。
「あ、いや……そう、また今度バーガーでも食おうと言いたかったのじゃ」
「ああ。また今度会ったときにな」
「うむ。約束は守らねばならぬぞ」
 恵の言葉に頷いて俺が再び歩きだそうとしたとき、
「そうでした。お父様、お母様、そしてお祖父様」
 棗は何かを思いだしたのか踵を返す。
「どうかしたのか?おお、用意した食事のことなど気にせんでよいぞ」
「食事の事ではこざいません。必ずお伝えしなければならない事があったことを思い出し
まして」
「ふむ。聞こうか」
「室峰彩樹……彼が私の『ケツエンシャ』です」
 俺を見て棗がそう言った。

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