第十五話「鬼の目にも……(前)」

 暗い。何も見えない。何も聞こえない。そんな空間にただよっていた。
―― 今度こそ死んだか
 どう考えてもそうとしか思いつかなかった。
「寒い」
 自らを抱き締めるようにして身を縮める。ここは酷く寒く、自然と温もりを探すも見つ
けることはできなかった。
―― 誰か俺を暖めてくれ
 そう思ったとたん、一筋の光が闇を切り裂いた。
 そこから現れたのは小さな白い羽をもつ小さな天使ども。○ンゼルマークのような奴ら
だった。
―― ついにお迎えがきたってわけか
 天使はまっすぐ俺に向かってくる。
「で、俺はどこへ連れていかれるんだ? 天使が来たってことは天国か? それとも後で
悪魔に引き渡されて地獄か?」
 天使達は何も答えず、円になって俺を囲んでいく。すると俺は光の膜に包まれ、ゆっく
りと闇を切り裂く光の根元に向かって進み始めた。
―― さぁて、天国でも地獄でも、これでどんな世界なのかわかるってわけだな
 生きている奴らは誰も知らない世界……少し楽しみだと思った。近づくにつれて光が大
きくなっていく。
 そして、俺の体が光の中に入ろうとした――刹那!
「へみゅ!」
 天使の一匹が妙な声をあげて吹っ飛んだ。そのまま暗闇の中に吸い込まれてしまう。さ
らに二匹目、三匹目と……10秒もたたぬうちに七匹全てが闇の中に消えてしまった。
―― いったい何がおこった?!
 混乱する俺の視界に細い手が入り、気づけば襟首を締め上げられていた。その手の持ち
主が視界に入る。
「な、棗!?」
 ありえない存在に俺は驚愕した。
「この私から逃げようというのですか?」
 不機嫌な顔をして棗が言う。
「逃げるも何も死んじまってるんだから仕方ねえだろ」
「どうして死んでいると思うのです?」
 俺を解放して棗が問う。
「俺を天使が連れて行こうとしたじゃねえか! そりゃつまり死んだってことだ!」
「馬鹿ですね。あれは貴方を殺そうとしていたのよ。この光は霊界の入り口です。入れば
確実な死が約束されます」
「入らないとどうなる?」
「答えは考えるまでもないでしょう」
「……まあそうだな。それよりもだ。何でお前、こんな所にいるんだ?」
「私は意思なのです。貴方が生きようとする意思。貴方の中でもっとも生命に満ちあふれ
た存在……それが法光院棗。だから私はこの姿でここにいて、貴方を死から救った。これ
でわかりましたか?」
 そう言って俺の生きたいと思う意思−棗−は微笑んだ。
―― ま、こいつなら神様すら殴り飛ばすだろうな
 最後には自らが神だと豪語して、それまでの神様をけ落としやがるかもしれない。そう
思ったら笑いが止まらなくなった。
「……私を馬鹿にしているんですか?」
「いや、逆だ。けどよ、その光景を想像すると……くっくっく、自然と、笑いが…」
「ふう。私は貴方をこのままここに置き去りにしていくこともできるのですよ?」
「くっくっく。……そ、そうなると俺は、ど、どうなるんだ?」
「現実の貴方は一生植物状態」
 笑いはぴたりと止まった。
「現実の貴方を生きるも殺すも私次第なのです」
 小悪魔を通り越して悪魔の笑みを棗が浮かべる。
「……お前、俺の生きたいと思う意思なんだろ。滅茶苦茶意思に反してんじゃねえか」
「意思だけではなく、貴方の中にある法光院棗という性格がプラスされていますから」
「あいつはどこでも俺を困らせやがる」
 やれやれと俺は額を押さえた。
「ふふふ。さあ、どうしますか? このままここにいて植物人間となるか、それとも私の
手をとって生き続けるか」
 白く華奢な手が差し出される。
「選びなさい」
 まるであのとき――棗と初めて出会い、勝負の誓約をしたときをフラッシュバックさせ
た。
―― 選んだ後で血判状が出てきたんだよな
 そして俺は血の拇印を押した。
 勝負を受けた。だがまだその勝負は終わっていない。このままここにいれば不戦敗で俺
の負けになる。目の前にいる棗はコンティニューのOKだ。
 この場にいて負けを認めるか、手を取って戦い続けるか……。
―― そんなの考えるまでもねえな
 不戦敗で負けるなんざ俺のプライドが許さない。
 俺は差し出された手を掴んだ。
 温かい。手から伝わってくる温もり。安心できる温もりだった。
「連れてってくれ」
「わかりました。では、生きましょう」
 とたん、俺の視界は真っ白になって……。

 目を覚ますと真っ白な天井が視界に入った。

―― 生きてるのか?
 何か滅茶苦茶な事があったような気がしたが、記憶がぼやけてわからない。それよりも
今は自分の生死が知りたかった。
「す〜〜〜〜」
 大きく息を吸い込んでみる。
「ごほっごほっ!」
 むせた。その際に感じた痛みが生きている事を教えてくれた。
 ひとまずよかったと思う。
―― んで、ここはどこだ?
 体を動かそうにも自分の体じゃないように重い。まるで全身が鉛になったかのようだっ
た。
―― まさか今度はもっと重い鉄球つけられてるんじゃ
 そう思って顔だけでも動かそうとすると、遠くで扉が開いた音がした。
「お〜い〜。誰か知らんが状況教えてくれ〜」
 自分でも情けないくらいかすれた声が口から出た。しかし答えは返らず、代わりに扉が
閉まる音が耳に届いた。
―― おいおいおい。無視かよ
 どこの誰だか知らないがそれはないだろうと思う。
「お〜〜い。ここはどこだ〜誰か教えろ〜」
 静かな部屋で俺は何度か呼びかける。すると再び扉が開いた。今度は複数の足音が近づ
いてくる。
「お〜い」
「お、レア君目が覚めた?」
「だからレア君はやめろ」
 顔は見えないが俺を『レア君』などと呼ぶヤツはひとりしかいない。
「別にいいじゃない。レア君はレア君なんだし。しっかし、やっぱレアくんだから悪運も
図太さもレア並にステータスあるんだね〜」
「本当にご無事でよう何よりでございますわ」
 視界に蘭と桐の顔が入った。そのすぐ後ろには縁と桜が立っていた。縁はなぜか目元に
涙を浮かべ、桜も珍しく顔に笑みを浮かべてやがった。
「何だ何だ? 何がどうなってやがるんだ?」
「あれ、自分がどういう状況だかわかってないの?」
「わかんねえよ。だから教えろ」
「しゃあない。教えてあげるよ。簡単に言うと、君は猛毒を注入されて3日間死の淵を彷
徨ってましたってわけ」
 猛毒。そのキーワードで全て理解した。
―― なるほど、あのときのか
 サド女の奴隷に刺された注射器。どうやらあのときに猛毒の液体を微量だが体に打ち込
まれていたのだろう。
―― 確かマングースもいちころの毒だったはずだが
 自分でも生きているのが不思議だった。
「棗さんに感謝するのですよ。応急処置・輸送ヘリと病院へ治療準備の要請、全て棗さん
が迅速に行動したおかげで貴方はこうして生きているのでございますから」
「そうそう。そこまで大事にされてるんだからありがたく思わなくっちゃね」
「あいつが俺を大事に? んな馬鹿な」
 信じられるはずがなかった。
―― 大事にしてるなら両手足に鉄球付けて働かせないだろ
 と思う。
「このばかちん」
 蘭が俺の頭を小突いた。
「何しやがる」
「寝てた君は知らないだろうけどね。なっちゃんは3日間食事もほとんどとらないで君を
看病してたんだから」
「まさか――」
「本当にございます!」
 今度は桐に頬を平手打ちされる。
「痛えな、おい。人が動けないからってぽんぽん殴るなよ」
「も、申し訳ありません。で、ですけれども棗さんが貴方を休まず看病していたのは事実
でございます。それを否定などしないでくださいませ」
「そうなのか?」
 縁と桜に問いかける。
「うん」
 と縁が答え、桜も小さく頷いた。
―― う〜む。こりゃ本当みたいだが……
 今まで言動を考えるとなかなか認めにくい事実だった。
「で、その当人はどうした?一緒じゃなかったのか?」
「知らない。わたしらは下の食堂でご飯食べてきたんだけど、なっちゃんはここにいるっ
ていってたから……おトイレか何かじゃない」
「あ」
 蘭の言葉で思い出した。
 ついさっき扉が開いた。あのとき入ろうとしたのは棗ではないのか、と。
―― なら何で入ってこなかった?
 わからない。想像すらできない。次第にわからないことがムカついてきた。
「このっ!」
 全力でもって身を起こす。
「ちょ、ちょっと何起きようとしてるの。まだ寝てなくちゃ駄目に決まってるじゃない!」
「うるせえな。ちょっと逃亡者を見つけにいくんだよ」
 腕に刺さっていた点滴用の針を引き抜く。そのまま体をずらして立とうとしたが、足に
まったく力が入らず俺は無様に倒れた。
「だから言ったじゃない。ほら、ベットに戻りな。縁、手伝ってあげて」
「は、はい。大丈夫ですか?」
「当たり前だろ。離せよ」
 縁を突き飛ばし、その勢いを利用して扉までフラフラしながらも歩いた。ノブを握って
立った姿勢を維持する。
―― 産まれたての馬とかみたいだな
 何とも情けなく間抜けな格好だった。
―― 何か体を支える杖みたいなのは……。
 目線だけで探すと、いきなり松葉杖が差し出された。
「さ、桜!? そのような物を渡さず彩樹さんをベットに連れ戻すのですよ」
 駆け寄ってきた桐の行く手を桜が遮った。
「桜!」
「勝手な行動をお許しください。後でどんな処罰もお受けいたします」
 本当に珍しく桜が口を開いた。
「悪いな」
 桜は構わないとでも言う風に首を振りながら、病室の外を指さした。行け、というのだ
ろう。
「んじゃ、ちょっくら行ってくる。心配しなくてもここは病院なんだから、ぶっ倒れたら
すぐに連れ戻されるさ」
 俺は松葉杖を使って病室を出た。
―― さて、どこにいるやら……。
 棗がいそうな場所を考える。チッチッチ……チーン。3秒考えてそこしかないと思った。
「んじゃ、行くか」
 使い慣れない松葉杖を頼りにその場所に向かった。

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