第十四話「天災は忘れた頃にやってくる…ってか」

 目を覚ますと視界全てが真っ暗だった。
―― ついに俺も死んだか。となるとあの世にいるのか?それとも三途の川に行く前か?
 辺りを見渡す為に体を動かそうとするが、『じゃらり』という音がして身動きがとれなか
った。それはまぎれもなく鎖の音。念の為にもう一度動かしてみるも結果は同じだった。
「死んだら鎖で縛られるってのか?」
 疑問を口にした次の瞬間、刺すような眩しい光が目をうった。
「ようやく目を覚ましましたのね」
 どこかで聞いた声だった。しかし声の主を見たくても顔を動かすだけでは見えない。代
わりに自分が鎖によってベットに縛り付けられているのがわかった。
―― どうやらまだ生きてるようだが……。
 この状態では助かったとはいえない。むしろ事態は悪化していた。
「待ちくたびれて隷に鞭1000叩きの刑をしてしまったわ。さぁて、どうやって貴方を
料理してくれようかしら」
「うげっ」
 視界に入った顔を認識した俺は呻いた。
―― 龍泉華琳。なぜサド女で有名なお嬢様がここにいる?
 混乱しながらも俺は目の前の女に捕らえられたということだけは冷静に理解していた。
「隷」
「はい、ご主人様! ぶっていただけるのですか?!」
「後でね。倉庫にはどんなアイテムがあるか教えてちょうだい」
「はい。ご主人様の得意とされる鞭は50種類ほど。他にも拷問道具20種類に、大人の玩
具が15種類、それとチョメチョメな薬品を20種類ほど常備していますよ」
 聞いているだけで鳥肌が立った。
―― そんなの倉庫に常備するなよ!
 心の中で悪態をつく俺を、獲物を見据える目で華琳が見た。
「どれがよろしくて?」
「どれも嫌に決まってんだろうが! くそっ、解放しろ!」
「何を言うかと思えば……解放しろ?この私に命令などと……命令などと!」
 乾いた音が部屋に響く。
 鋭い平手が俺の右頬を打った音だ。さすがにサド。殴りなれているのかなかなかの威力
があった。
「やってくれんじゃねえか」
「あらあらごめんなさい。私、命令するのは慣れているのだけれど、されるのは……ね。
だから急に爆発しちゃって……痛かったかしら?」
「触るんじゃねえよ!」
 頬に伸びてきたその無警戒な手を思いっきり噛み付いてやる。それでも悲鳴を上げない
のはヤツなりのプライドだったのかもしれない。
「くっ。やってくれるじゃないの」
「ご、ご主人様! ゆ、指から血が、血が出ています!」
「隷、止まるまで舐め取りなさい。止まったら……」
 暗く濁った華琳の目。どうやら逆鱗に触れたらしい。
―― ヤツにとっては琴線か
 どちらにしてもますますやばくなるのだけは確かだ。
「鞭と薬品全てもってらっしゃい。こういうお馬鹿さんは手加減なんかしないで……一気
に壊してさしあげるわ」
 心から楽しげに華琳が口元に笑みを浮かべる。
 裁判長から死刑宣告をされた被告人の心情を少し理解できた気がした。
 それから少しして華琳と隷は部屋から出て行った。
 華琳は傷の手当て、隷は拷問の準備だろう。なら逃げるチャンスは今しかない。
―― まずはベットから抜け出すことだな
 でなければ抵抗できぬまま敗北決定だ。
「しっかし、念入りにやってくれてやがる」
 俺をベットに縛りつけている鎖は全部で6本。どれも太い。かの○ブ・サップでさえ引
き千切ることはできないだろう。
「しっかし、ご丁寧に布団の上からっていうのがミスだな」
 しかも高級羽毛布団だから厚い。さらにはどちらのミスか若干絞め方が緩かった。
―― 強者の余裕ってヤツか
 はたまた布団を傷めたくなかったのか。どちらでも好都合だった。俺は極力音を立てな
いように少しずつ上に体をずらしていく。まず足先が一本目の鎖から解放される。
―― ようし。この調子この調子
 このままなら抜け出せる、と喜んだのもつかの間だった。
「……何で付いたままなんだよ」
 悲しくて俺は心で泣いた。
 半身を起こすことができるようになった所で足と腕の鉄球が鎖に引っかかっていた。少
し力を入れて引いてみるも動かない。
「ここまでか」
 と、まるで狙っていたかのように後ろで扉が開いて二人が戻ってきた。どうやら準備完
了というわけらしい。
「あ〜〜ら、これはどういうこと? そこまで逃げられたなんて……隷、そこに跪きなさ
い。今すぐに!」
「はい。喜んで♪」
 満面の笑みを浮かべて隷が跪くと、華琳は手にした鞭を繰り出した。ラップ音に似た音
が部屋に響く。鞭を振るう力に手加減はない。
「手抜きは許さないと言ったはずですわよ!」
「ああ〜〜〜〜!いい、いいです〜♪もっともっと自分を嬲ってください〜〜〜ぃ」
 などと喜んでいるが服は破れて体中赤い痕が付いている。所々では皮膚が破れて出血ま
でしていた。主人が真正のサドなら奴隷は真正のマゾらしい。
―― ナイスコンビだな
 そう思いながらも俺は必死にベットから逃げようとしていたが、やはり鉄球が鎖に引っ
かかってこれ以上は駄目だった。
 ベットの鎖を解けばと思うも、鎖はベットの真下で繋がっているらしい。が、そんな所
へ手を伸ばせるはずもない。
―― ま、まずい
 頭に万事休すの言葉が浮かんだ。不意に鞭の音が止む。
「ふぅ。準備運動も終わったことですし……そろそろいきますわよ。まずは何がよろしく
て? やはりこの鞭かしら?」
 鋭い一撃が床を打つ。
―― 生きた魚がまな板の上で最後を待つ気分ってのはこんな感じか
 今日ほど魚に同情したことはなかった。
「それとも薬品が良いかも。ほら、ご覧になるとよろしいわ。即極楽へイッしまう媚薬や
マングースもイチコロの猛毒、像も3秒で身動きできなくなる痺れ薬に一発で中毒になる
も最高のトリップを経験できる麻薬……他にも色々とありましてよ。さあ、お好きな物を
お選びになって!」
「なるか! 俺はまだ死ぬつもりはねえよ!」
「心配しないで。虫の息で生きてゆくことを許可してさしあげますわ」
「死んだも同然だろうが!」
「ああ〜いいわね〜。は・ん・こ・うって♪ 甘美だわ。隷だとこんな甘美なひと時はお
くれないものね」
「あう〜。どうか自分を見捨てないでくださいよ〜」
 涙すら浮かべて隷は華琳にすがりつく。
「だいじょうぶよ。お前ほど壊れにくいサンドバック貴重だから捨てはしないわ。壊れた
ら即座に捨てますけどね」
「壊れません。僕は壊れません! もっとご主人様に殴られたいから! 僕は壊れませ
ん! 壊れませ〜〜〜〜ん!」
 隷の叫びは、やけに懐かしいドラマを思い出させた。
―― なんて思い出してる場合じゃねえよ!
 現状思い出した俺は全力で腕を引いた。鉄球と腕を繋ぐ鉄の我が深く食い込んで痛む。
「もう十分執行猶予を堪能しましたわね?では、そろそろ悦楽の宴を始めましょうか。隷、
貴方は好きな薬品を彼に注射してあげなさい」
「はい、ご主人様! う〜〜〜〜〜ん、これにしよ」
 華琳が鞭を手に、隷が何らかの薬品を満載した注射器を持って近づいてくる。
「ああ〜〜〜〜〜〜、くそーーーっ! こんな事なら我慢してでも棗の別荘にいりゃあよ
かったぜ!」
 注射器の針が腕に刺さった。
 そしてその指が薬品を注入しようとした所でパシュン、という少し気の抜けるような音
が耳に届いたかと思うと、
「はう〜〜〜〜ん」
 妙な声を上げて隷が仰向けに倒れた。
「何事!?」
「それは〜こういうことよ〜」
 瞬間移動の如く華琳の背後に姿を現したのは玲子だった。
「あ、貴女――」
 振り返った華琳もなすすべなくその場に倒れた。
「お仕事その1しゅうりょう〜」
「な、何でお前が……」
「ここにいるんだ〜と言いたいですね〜。簡単ですよ〜。お嬢様のご命令によって〜私は
ここに参上つかまつりました〜。さて〜、鎖吹き飛ばしますので動かないでくださいね〜」
 相変わらず顔は笑っていて、口調も間延びしてる癖に声は淡々としていた。
 銃声が10発。
 目に見えない高速の弾丸が俺を束縛していた鎖を全て断ち切った。
「まったく〜。貴方が反抗しなければ〜このような面倒はなかったというのに〜」
「あのな! 両手両足に鉄球付けられて黙ってられるかよ!」
「たかだか30キロごときで根を上げるなんて軟弱でございますね〜。ワタシであれば8
0キロでも平気だというのに〜」
「お前はそういう風に訓練されてんだろうが、俺は単なる一般人なんだ! 鉄球なんざ付
けて掃除する義務なんざねえ!」
「ふう。お馬鹿でございますね〜」
「何だと?」
「あれをこなしていれば〜お嬢様から200ポイント与えられたというのに〜」
「200!?」
 滅多にない高ポイントに俺は驚いた。
「まあ〜戻れば確実に〜ポイントダウンになるでしょうね〜」
「はぁ〜〜〜〜」
 大きなチャンスを逃した上に、こんな不幸に遭遇したいう踏んだり蹴ったりな結果に俺
は思い切り大きなため息を吐く。
―― 後悔先に立たず
 本当に今日の教訓だな、と俺はつくづく思った。

 んで、別荘に戻るなり、
「マイナス100ポイント」
 不機嫌な顔した棗からそう告げられた。
「へいへい」
「少しも反省していませんね」
「元をたどればお前が俺に鉄球付けたのが悪いんだよ。お前も同じ事されてみろ!」
「……もういいです。これ以上の会話は無駄でしょう。今日はもう休みなさい」
 ソファーに座ったまま棗が部屋の出入り口を指さした。
「へいへい。そうさせてもらうよ。ったく、少しは他者を労るって――」
 文句を言いながら部屋を出て行こうと扉のノブに手をかけた刹那、急に何かがこみ上げ
てきた。若干吐き気があった。きっと疲労による吐き気だから胃液か何かと思っていた。
 が、
「ごふっ!!」
 耐えられず咳き込んだ俺の口から飛び出たのはドロリとした真っ赤な鮮血だった。
―― は? いったい何が、どうして、どんな原因で俺は吐血してる?
 異常な光景にすぐには現状を理解できなかった。
 けれども体は勝手に何度も咳き込み、その度に多量の鮮血を口から零す。まるで血を吐
き出す噴水になった気分だ。
「彩樹?」
 棗がようやく俺の異変に気づいたらしい。
「血? ……彩樹! 玲子! ルクセイン! 桐さんでも蘭さんでも構いません! 早く
きて!」
 初めて聞いた棗の切羽詰まった声。
 吐血による出血で体が寒くなり、意識が遠のく中――ぼんやりとその声を聞いて笑って
しまった。
―― あいつでも焦る時があるのか
と。

 そのまま、俺は鮮血の湖に顔から倒れ―――意識を失った。

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